不明瞭な黒―ヴェイグ・ヘイセ―

 

 

序章 ―それは従僕―

 

 もしこの世を二つに分けるのなら、光と闇がよいだろう。
 光はそのまま光り続ければ良い。
 ならばこの闇は好きなように私の色に染めよう。
 どうせ暗闇で何が起こっているのか、あいつは理解しないだろうから。
 この対の世界で、惹かれあう世界で永遠に交わることのない喪失感を維持しておけば良いのだ。
 この私は――。

 

***     ***

 

 それは突然の出来事だった。
 わかるような、いや、わからない。
 この人がどうしてそんな言葉を私に言うのか。
 これではまるで下僕だ。
「何をしている? さっさと情報を集めてこい」
 私を見つめる深淵の青。その奥は闇ように暗い。
「さぁ、いけ。水薙(みずなぎ)よ」
 なぜだろう。喉から歓喜の声が漏れそうだ。逆らう言葉なんて見つけられない私は自ずと答えていた。
「わ、わかりました」
 と。

 そう、知らない間に暗闇に身を投げ出していたのだ。
 ずっと前から。
 私の半身が引き裂かれたその時から……。

 

 

第一章 ―それは反逆―

 

 なんだ。今日は騒がしい。
 身じろぎすると放置して伸びきった髪が肌に纏わりつく。鬱陶しいと感じる。
 そろそろ整えた方がよいのだろう。邪魔な束をいくつか枕の方にどけ、また微睡むことにする。

 しかし外からの声はやまない。
 室内にまで鮮明に響く。
 五月蝿い。
 護衛(ガーディアン)と秘書(セクレタリー)か。
 黒で塗りつぶされた天蓋の向こう側で主の目覚めに動く獣。
 透けた黒のカーテンから、服を器用に持ってくる。
 主のために、音も立てずに用意する。
 実によい獣だ。
 いつもの褒美として毛並みの良い頭を撫でてやる。そうすると頬をすり寄せてくるが、それには答えない。それがきちんと分かっているから、すぐにその場に跪く。
 忠実な獣。
 それに引き換え、扉の向こうはなっていない。
 騒がないようにしているようで、実に騒がしい。
 不快だ。
 私の耳はごく僅かな音でも拾ってしまう。
 一つ息をついてから、躾けられた獣が持ってきた服に袖を通す。
 黒のシャツ、黒のズボン。そして黒のタイ。
 全て漆黒。
 シンプルで何ものにも染まらない色。
 そして、全てを飲み込む色。
 実に好ましい。
 それ故か扉の外が実に億劫だ。
 まだ続けている戯言に足を向ける。
 面倒なことだ、何もかも。

 

***     ***

 

「なぜ、それを早く言わないのですかっ。ディル」
「境界(ディ)は不安定です。今回は前兆もなしに現れました」
 ガッチャ、ガッチャ。
「それで、どうして貴方が慌てふためくのですっ。ああもう、五月蝿いのですよ。あなたのその鎧は!」
「申し訳ない。しかし、これが俺のチャームポイントなんで」
 落ち着いて返す割にはウロウロと忙しなく廊下を歩き回る護衛。その姿はいまから戦場に行くような立派なプレート・アーマーの鎧姿である。その重厚感は、廊下では目立つし何より重そうなので、頭部のアーメットぐらい脱いでしまえばいいのだがそれは出来なかった。
 なぜなら顔面を覆うバイザーの隙間から覗く景色は黒に塗りつぶされている。
 つまり、鎧の中身は空洞であり、鎧こそが護衛―ディル・ホ・クォル―自身だったのだ。
「分解して動いてもいいのですが、多分もっと音が鳴りますよ」
「だから、動くなと言っているでしょう。そしてわざわざバラそうとしないっ。組み立てるのは部下達に手伝ってもらわないと元に戻らないでしょうが、そこを考えなさいっ」
「あ―部下も呼んで、一緒にがしゃがしゃと目覚めの音楽を奏でるってのもいいですよね」
「やめなさい。主がそれで起きたら私もあなたも首が飛びますよ!」
 いまいちマイペースで空気を読まない護衛隊長にツッコミをいれる秘書。
 そのつぶらな瞳は、主がこの馬鹿の所為で起きてしまったらと想像して泳いでいる。
「あぁ。兎様も耳が忙しなく動いています。主の嫌いな埃が飛びますよ」
「兎というなっ。あなたのほうが、埃を飛ばしています!」
 一応さっきから小声で怒鳴り続ける秘書は、長い耳をピーンッとのばし逆立てる。キチッと着こなした紺のスーツ、いかにも生真面目なつるなし眼鏡をかけて、背丈の二倍くらいある甲冑を睨みつけるその姿は何処から見ても兎だった。
 兎として違う点を上げれば瞳は赤でなく緑で、器用に二足歩行で歩いて服を着ているぐらいである。
 そんな兎もどきな兎は主の秘書である。
「じゃあ、ラビットで。そんなことより、主の部屋に通してくれますか?」
 しれっと受け流す護衛のディルにラビットじゃなく秘書―プイス―はぷっちーんと頭の中で糸を切った。
「あ、な……っ」

「五月蝿い」

 ピシャッと、響く苦情。
 その声に手に持った分厚いスケジュール帳で生意気な鎧に飛びかかろうとしたラビットが硬くなる。
 同時に向かいの鎧も固まる。
 厳かに開く目の前の扉から射抜かれるような冷気が滲みでてきている、と二人は感じた。
 実際出てきたのは髪も服も靴も闇一色の我が主だった。
 灰色の肌に、唯一無彩色ではない透き通った蒼の瞳が、ゆっくりと二人を交互に一瞥し、命ずる。
「食事の用意をしろ、話はそれからだ」
 朝食とも夕食ともいえる、時間帯、そこから主の一日が始まる――。

 

 

 

本編へ続く。

2014/10/12 彩真 創
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