――ああ、また今日も誰かが死んでいく。
火を吹き消し辺りは闇に包まれた。
ミロはため息をついて身体の力を抜く。すぐには動けない。
先程まで煌めいていた一つの灯火があった場所をただ見つめた。
いつまで続くのだろうか。
すでに罪悪感など持てなくなった自分もまるでそこに転がっている壊れた蝋人形のようだ。
「終わりましたか?」
格子戸の向こうからの声。叔父さまの見張り役が声をかけくるのもいつものこと。
この見張り役も何人目だったか。
もはや名前すら覚える気がしなかった。
髪の毛だけで十分だから。
あぁ、いけない。こんな思考ばかりではダメなのに。
短く言葉を返すと音もなく襖が開いて小さな灯りがゆらゆらとこちらへ近づいてくるのがわかった。
こうべを垂れてなんとか姿勢を保っている私を難なく抱えあげ、どこかの忍びではないかと思うくらい音を立てずに運んでいく。
ここから少し離れた倉の自室まで運んでくれるようだ。前の見張り役は儀式の片付けだけして出て行くだけだったが、叔父さまに注意でもされたのだろうか。
月明かりも長い前髪の所為で残念なことにぼんやりしか見えない。
「今日は満月かな」
「いえ、上弦の月です」
律儀に答えを返してこなくてもいいのに。
こんなに明るいのに満月ではないのか。ミロはどっと疲れが増えた気がした。
静かに敷かれた布団に横たえられるがすぐに気配が去っていく。
布団はかけてくれなかった。まだ寒い季節ではないから別にいいかと納得して、着替える気力もないミロは素直に目を閉じることにした。
目が覚めたら、布団はかかっていた。自力でかけたのだと判断した。
八ノ楼燭村。大した人口もなく、森に囲まれた小さな村。しかしとある屋敷のおかげで村は割と活気がいいそうだ。
村を歩き回ったことがないのでわからないが、多分そう。
楼祭りでは外からくる観光客は後を絶たないとのことだ。
祭りの最後には人形にかたどられた蝋に願い刻んで火を灯し河に流す。
最近は天使の蝋人形もあるそうだ。気味が悪い。
まぁそんなこと、今はどうでもいいのだが。
しかし自分が外に出る時に限って両端に並んで見送る村人達に辟易する。昨日の今日で本当は動き回りたくはないのだが、私は叔父さまのモノだから人権など無いに等しい。
そんな彼女を誰もが崇めるのだ。
神だ、聖母だ、守り神だと。
こんな青白い顔をした蝋人形のような私を。
知らないから讃えられる。
不気味なものだ。
なぜこんなに偶像を崇拝できるのか、すがることしか出来ないのか、病んでいる村の人々を尻目にミロは屋敷を後にした。
「今日はどこへ?」
――また誰それを呪って欲しいという金持ちのところへ行くのだろうが……
「あぁ、今日はお前にとっていいことがある屋敷へ行くんだ」
「?」
「お前の花婿だよ」
どうしてこんな平然とまるで決められたように告げられるのだろうか。
素直にわかったと言えばいいのか。この気味の悪い何かと距離をとりたくて私はさらに端へと移動する。
「寒いのですか?」
そんな呑気な質問は見張り役。今度は運転手を務めているらしい。お忙しいことで。
それすらも無視をして、私は外の景色を眺めることにする。
外の世界は不思議と奇跡に満ちあふれている、と、消された見張り役が言っていたが全くの嘘だなと、ブラインドで黒ずんだ町並みを呆然と見つめていた。
ミラー越しの視線もどうでもよかった。
「綺麗な着物ですね。黒と赤い蜂が美しく際立っている」
着物だけを褒める優男。
それもそうか。
目的地に着いて挨拶もそこそこでいきなり二人っきりにさせられて、しかも私は無言。話す内容なんてたかが知れている。
こんな茶番なお見合いを外で聞き耳立てている見張り役も呆れていることだろう。痩せっぽちで髪なんて床にたれる程の長さなのにまとめもしないで、ここにいる。ようは権力目当てで彼は我慢して、私はお金目当てで我慢しなければいけないのだ。
いや、正直我慢などしたくなかった。
だからいつもの『いたずら』をすることにした。
「わたしの名前を知っていますか」
「勿論。ミロさんでしょう」
「そうじゃなくて、漢字の方」
「漢字?」
「蜜蜂の蜜に蝋燭の蝋。で蜜蝋(ミロ)。意味はお分かり?」
首を傾げる。わかってなどいない。こんな嫌いな名前。
「蜜蜂の巣を加熱して作った蝋燭って意味です」
――そしてその蝋から作った人形で呪います。
「誰を?」
「あなたを――今夜、呪います」
途端に張り付いていた笑みが消えるのがわかった。
いい気味だ。大抵歴代の見張り役たちもそれで逃げ出そうとするものもいたし、実際本当に呪ってあげたこともあった。
恐怖で足がすくんでいる優男の側に近づき髪を毟り取る。
途端に聞こえる悲鳴。
いい気味だ。
こんな奴と結婚するのなら私は喜んで呪い殺してやる。
騒々しく開く扉と泣き叫ぶ悲鳴、この阿呆らしい茶番の終わりを密かに笑った。
腫れた頬を撫でながら遠い光を眺めた。
自室という檻は今という時にぴったりの牢獄だった。
あの後は言うまでもなく縁談は破談。折檻を受けて数日の軟禁。また客が来たら出されていつも通りになるのだろうが。
思うのは一つ。
そろそろ死のうか。
それだけだ。
沢山死んだ。
この年まで生きていくのに、沢山の人を呪い殺した。
そろそろ自分を殺してもいいのではないだろうか。
母様はどうしてさっさと死ななかったのか。
わからなくもないけど。
死にたくはなかったんだって。
権力と金の操り人形になっても、希望が欲しかったんだ。
力のないものは希望さえも貰えなかったが。
罪の意識なんてなくなるくらい呪って、自分の感情もよくわからなくなるくらい狂って死んだんだと、私は理解は、している。
かつて母様と一緒に閉じ込められていたこの檻。
だから知っている。
隠し扉。
母様が私の為に残してくれたもの。
これを使えば母様は首を吊って死ぬという苦しい死に方を選ばずにすんだのに可哀想な人だ。
扉から遠い右の角の畳のすぐ上を二回叩く。
軽い音をたてて四角い畳が浮いた。持ち上げれば小さな扉が見えた。
これを作った奴は抜け穴くらい作ってくれればよかったのに、と思っても意味はない。だが、残念な気持ちではある。
扉を開けると黒く塗りつぶされた顔の大きさくらいある箱がでてくる。
金属音が小さく響いて息を潜めるが外には聞こえていないようだ。今度の見張り役は耳がいいから注意して箱を開けなければいけない。
慎重に開くとそこには三本の瓶と人の形をかたどった型が以前見たままの姿があった。
迷うことなく右の瓶を取り型へ流し込んでいく。
全部流し終わったら真ん中の瓶を同じ型へ流し込んで横にある棒でかき混ぜる。
後必要なのは。自分の長い長い髪を両手で引っ張る。鋏で細かく切り刻んで流し込む。ついでに血も混ぜてしまおう。
本当はこの屋敷全員を呪い殺してから死にたい所だが叔父さまは髪の毛なんてないし、私に必要以上近寄らない。
髪の毛や血液なんてなくても名前で呪えなくもないが、忌々しいことにそのくらいなら呪詛返しできるらしい。
一矢報いられるとしたら跡継ぎがいないことか。
後は自分を呪う時にこの家紋を呪えばいいのだ。蜂と蝋燭のセンスのない家紋を。
最後の液を混ぜ暫く待つ間に、なるべく音をたてないように儀式の準備をする。
なんてことない子供の落書きのような文字を血で書いていく。炭も隠し部屋に用意してくれていたらよかったのに。だって母様の時は今より見張りが厳重ではなかったのだ。おかげで今から死ねるのだが、どうにもいい気分ではない。
母様に教えられなくても不思議とどう呪うのに必要な手順がわかってしまう。これが血筋らしい。
もう充分生きたし、好きでもない男と結婚なんてごめんだ。
これでいい。
軽く型を叩くとなんなく割れた。日の当たるとこで見ると綺麗な赤色蝋人形だろうが薄暗いここだと特になんとも思わない蝋燭だった。
――ようやく終われる。
それがなんだか嬉しくて大きな声で笑いたくなったが頑張って堪えた。
いつも使うマッチで火をつけその前で手を合わせて印を結ぶ。
空気を小さく震わせるように言葉を紡ぐ。
普段の呪いは手、足、頭、腹といった具合に突然痛みだして最後には心臓が止まる呪詛を使うのだがそれだと印を結べなくなるので、違うものにした。
耳鳴りがして段々身体が重くなる。呪い自体体力をつかうものだし更に自分を呪っているからすぐに身体が根をあげそうになる。
必死で必要な呪禁と印を結ぶ。これさえ終われば後はゆっくり目を閉じるだけ。
目を閉じれば、そのまま深い眠りに入り蝋燭が全部溶けて火が消えたら私は自分の生を全うできるのだ。
最後の言葉と印を小さく結び。私は横へゆっくり倒れた。
かろうじて動く瞳に半分しか溶けていない蝋人形が映る。
もう少し溶けるまで見守ることにした。
――そういえばどうしてここまで生きていたのだろうか?
暇な思考はそこへ行き着く。
昔消された見張り役が本当の父様だったらいいなと思っていた彼が、なんかいっていたんだ。
花の名前。折り紙で遊ぶこと。風船をくれたこと。母様が恋をした人との子供が私だったことを教えてくれて、必ず屋敷からだしてあげるからと約束して帰らぬ人となった。
まだたくさん教えて欲しかったが彼はいない。
彼みたいな人を捜したかったのだろうか?
外の不思議な世界を見に行きたかったのだろうか?
多分違う。
――誰かに、助けて欲しかった。
でもこんな狭い世界で結局母様が残してくれた呪いしか私を助けてくれなかった。ただそれだけだ。
生きる理由なんて初めからなかったのだ。
そして私はいなくなる。
思い残すことはない。朝、私の死体を見て悔しがる奴しかここにはいない。
私が死んで泣く人なんて彼だけだったのだ。
あぁ、なんて馬鹿なのか。
もういなかったのに、それすら気付かなかったなんて。
死んだら会えるのだろうか。
いや彼は極楽の世界の住人だろう。
私は違う。そちらへは行けない。
目を閉じて再び開いた世界は一体どうなっているのだろうか?
母様も地獄にいるといいな。
そしたら二人でこの一族を呪える。あぁその前に抱きしめて欲しい。
力一杯頑張ったねって抱きしめて欲しい。
小さくなってきた灯火に合わせて、私は一つ息を吸い、小さく吐いてゆっくり目を閉じた。
体から力が抜けていくのが嬉しくて、頬を伝う歓喜の水。
目を開けたら、罰が待っているのに怖くない。
怖くなか、た。
そう、
目を……開けたら――
…………目を開けたら白い世界が広がっていた。そして隣には「逝かないでくれ」と必死で祈っている声が聞こえました。私の手に縋り付いて涙を零す青年が――
あぁ、まだいたのね。
私の為に涙を流してくれる人が。
酷いわ。
生きろだなんて。
生きたくないから死んだのに。
重い過去を背負いたくなかったのに。
だから一言あなたにいうわ。
「 」と。
なぜかあなたは嬉しそうに微笑む。
そんな未来があったらいいな。
了