黒煙の空の下で……  戦場×悲愛 第一部


「おい、寝てんのか?」
 誰かが私を呼ぶ。
 そっと目を開く。
 ほの暗いたき火の灯りが、闇に慣れた私の目を熱く焦がす。
「起きてたら、返事ぐらいしろよ。ほら、飯だ」
 聞き慣れた声が私と炎の間に座る。
「そう」
 私は地面に置かれた錆び付いたお椀を一目見、また目を閉じる。
 興味ない。
「おい、また食べないつもりかよ。喰わないと力でないぞ」
 声はあきれたため息をつく。彼の名前は何だったか。そんなことを考えながら、私はかぶっているフードに顔を深く入れる。
「無視すんなよ。不味いかもしれないけど、一応久しぶりのまともな飯なんだ。喰え」
 男は私の隣に座り直し、私のお椀を掴み、私の方へ突き出す。
 炎で見えたその中身は、米粒くらいの実を何重にもすりつぶし、お湯で薄めたものだった。
「ほら、口開けろ」
「……の味がするから、いい」
 ぽつりといった私の言葉に、男は一瞬、ほんの一瞬動きを止めた。
 今が戦場ならこの男の命はそこで終っている。
「それでもいいから、喰え。ほら、俺が器もってやるから」
 無理矢理、私の右手にスプーンを握らせる。ガンとして私に食べさせたいようだ。
 気が乗らない。
  そういえば、いつぶりか。こうやってゆっくりご飯を食べた日は。そうふと、思うが思い出そうとしても、頭に重い何かが思考の邪魔をし、うまくでてこない。
 真っすぐに器を突きつけて待っている男の方へ、億劫な気持ちで向き直り、口へ運ぶ。
「どうだ。うまいだろ」
 男は聞く。しかし、私の口の中には鉄の錆びた味しかしなかった。
 彼は私が全部食べ終わるまでここにいるつもりらしい。小言をいいながら隣にいた。
 どうしてこんな所で、こうも怒ったり他人の世話をできるのか、私にはわからなかったが、他のテントでもそうみたいだ。にぎやかな声が私達のいるテントを震わす。
「たく、お前そんなに早死にしたいのか」
「?」
「配給された非常食にも全く手を付けてないだろう。俺が見た限りだと一週間食べてないんだぞ、お前」
 小言が説教になってきた。
 面倒だ。
 私は早く終らせたいので、食べる歩を早めようとするが、口も喉も胃も、鉄の味を受け付けないようだ。重くなる動作を必死に取り繕う。
「喰わなきゃいざという時、動けないだろう。それを常に頭に…………おいっ、大丈夫か!」
「?」
 彼は私を見て顔色を変える。何がどうしたのか私はわからない。彼は慌てて布を私の口元にあてる。これでは食べられない。
「気持ち悪いなら、そう先に言えよ。もう食事はいいから。とにかく横になれ」
 食べろと言ったり、食べるなと言ったり何がしたいのか、この男は。
 疑問だったが、ふと足下を見て気付いた。いつの間にか自分は吐いていたのだと……。
 それで、彼は焦って私を地面に押しているのか。
 その答えがわかって、とりあえず言う通りにした。
「……悪かった。無理矢理だったな」
「? どれのこと?」
 勝手に人のテントに入ってきたことか、無理矢理食べ物を食べさしたことか、いきなり押し倒したことか、見当がつかなかったので聞いてみる。
「ん、いろいろと……」
 どうやら、全部のようだ、が、謝られても何を言えばいいのかわからないので、とりあえず黙って、気まずそうに見つめる視線を見つめた。
 その顔をもうずっと昔から見ていた気がする、彼の顔はおそらく昔から、変わっていないのだろう。いつまでも見ていたいような、見ていたくないような……、よくわからない何かを感じる。
 彼は何かいいたげだったが、先に私は口を開いた。
「冷めるよ」
 私は彼の食器を指す。
「あぁ、後で食べる」
「そう」
「……なぁ」
「なに?」
「お前、また自分の名前、忘れているんじゃないか?」
 あなたの名前も忘れてしまった、とは言えない。いや、もうほとんどの記憶が私には残っていないと思う。
「それがどうしたというの?」
 どのみち、こんな状況で自分の名前などたいして意味のないものだ。この果てしなく続く戦場の世界では……。
「どうしたも何も、大切なものだろう。自分の名は」
 彼はおそらく以前もこういった、だろう。抜け落ちた記憶では確かめようもないが。
「お前はムイ。俺はユウ」
 自分の名前を言われてもしっくりこない。
「隻腕の死神は?」
「…………どこで聞いたんだよ。それは通り名だ。名前じゃない」
「そうかしら。そっちの方がしっくりくる」
「だめだ!!」
 声を荒げ言う彼。
 なぜ、叫ぶの?
「頼むから、そんな風に自分を言わないでくれっ。お前は……」
「ここは戦場。男も女も子供も大人も富も名誉も関係ない場所。なのになぜ、こだわる必要がある?」
 この世界は、もう既に『幸せな場所』というのは消えている。私が生まれた時はもうこんな風だった。
 全て狂気に満ちた場所。
 だから、昔がわからない。幸せが何なのかも知らない。
 けれどなぜあなたはそんな顔をする?
 体を起こしながら、彼の瞳をのぞく。
 薄暗い光に灯される暗い蒼。
 その潤んだ瞳が私を捕らえる。
「いつか、絶対、こんな戦争、終わる日が来る。そしたらお前は、どうすんだよっ」
「戦いが…………終わる……?」
「あぁ、もし終ったらお前は何をするんだよ」
 彼は苛立ちを隠さずに、私に問う。隣で激しく燃えているたき火は彼の心のようだ。
 終わる?
 戦いが?
 それは……
「終わらない」
「?」
「戦いは終わらない」
「まだ、そんなことをっ。いい加減、目を覚ませ」
 彼は私の肩を掴み揺さぶるが、彼の手は震えていた。寒いのかしら?
「私はこれしかしらない。これが全て。生まれた時からもっている唯一のもの。戦いが私の全て それが終わるのなら、私が死ぬとき」
 そうでなければ、なぜ「私」は生まれてきたのか。
 そう言ったら、急に視界が暗くなった。
 彼が私を掴んでいた。正確には抱きしめるか……?

 

「なぜ、泣くの?」
「っ、お前が、忘れているからだっ」
 忘れている?
 もともと私には持っていない感情(もの)のことか?
 片腕が生まれつき無いように、私の『心』は、ない。元から……なかった。
 それなのにあなたは、私に何を求めているのか?
「お前だけは、絶対に、俺が守る」
 強く私を握りしめながらいう。それは絶対に無理なこと。
 この激しい戦乱の中で、私を見つけ、守ることなんてできない。みんな自分で精一杯。
 それなのになぜ、あなたはそんなことをいうのだろう?
「……」
 何故かそれは無理なこと、と言えなかった。
 彼の温もりがただ、暖かいことだけが伝わった。

 

間

 

 しばらくして、周りが慌ただしくなる。彼もそのことに気付いたのか、顔を上げる。するとすぐに、伝令がきた。
「隊長! 敵襲です。前線の包囲網が破られました! 出立のご用意を!」
「わかった」
 私は素早く剣を腰に納め、立ち上がる。
「ムイ」
 不安げな声。しかし、私は振り返らない。
 ここはもろい場所なのだから。
「行くぞ、副隊長」
 そう声をかけテントを出る。
  ――さぁ、戦が始まる。
 見慣れた黒い空を見上げ、私は指揮をとった。

 

間

 

 どんな不利な状況でも、命の重さは、人の能力(ちから)は変わらない。
 全力で大将の首を取るまで、前に進む。後ろなど振り返らない。
 何人倒れようと、何人なぎ払おうとこの戦いが終わることは決してないのだ。
 誰が始めた戦なのか、誰の命令で動いているのかわからない。
 もう歯車なんて、ない。
 私は、視界に写る全てのものをねじ伏せる。返り血など気にしない。
 飛び散る赤、轟く声。
 全て私には何の感情もわかないもの。ただ、ここにいることが私の全て。
 だんだん思考がわからなくなる。自分が誰なのか、敵は何なのか、そんなものどうでもよくなる。
『お前は、戦いが終わったらどうすんだよ!』
 不意に、聞こえた。彼の叫びが。それは現実のものか? 過去のものか?
 目の前に彼が血飛沫をあげて、立っていた。
『お前だけは必ず守る』
 それは、あなたが生きていなければ意味がないことではないのか?
 そうよぎるが、私の体は彼の死角を利用して、敵を鮮血に染め上げていた。
 彼が倒れていくのを傍目で確認できたが、振り返らない。
 立ち止まらない。
 彼が何かいったが、聞こえない。
 返り血がほおに飛ぶ、まるで雫のように頬へ伝う。
 しだいに薄れていく思考に身を委ね、ふと、思う。

 

 ――彼の名は何だっただろうか?

 

 
〜淡い夕闇 君を攫う 第二部〜へ続く
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