――目を閉じて、カウントしてくれるか?
 いつものあなたの口癖。
   嘘つきなあなたは、それに乗じてよく逃げ出した。いつもそんなあなたを捕まえて、ふんじばって、殴って、捨てて、結局最後には、拾っていたっけ。
思えば、あいつはどうしてそれが口癖だったのか、不思議でたまらない。
 ニコニコ、ニコニコ、いつも人の後に付いてきて、従順な犬の様に、従うかと思えば、平気な顔をして嘘をつく。
   思い出しただけでも、腹が立つ。
「十湖ちゃん? 僕の顔に何かついてるの?」
  「え、ううん」
   曖昧に微笑む。
   どうやら、思考が別のとこにいっていたらしい。目の前にいるのは、今付き合っている…………あれ、名前なんだったけ?
   忘れちゃった。
   まぁ、いいか。
   どうせ、今日中に別れを告げようと思っているんだから。
   会話を遮断する為に、ちょうど食事を持ってきた眼鏡をかけた店員さんに、お酒の追加を注文する。
あぁ、あのバカと付き合って、そして、一方的な別れをして以来、私、変になっちゃった。
 思えば、出会いも最悪だった。
   体が大きいくせに、ドジッこで、俺様系かと思えば、後ろからそわそわと、ついてくる。
   そう、あいつが私のバイト中、目の前で派手に転けて大泣きしなければ、無視して踏んづけていた所だった。
  「ちょっと、大の男がこんな道の真ん中で、泣かないでよ! ほら、これあげるから、大人しく泣きやみなさい」
   ティッシュ配りしていたから、大量にそのバカにあげた。
   そいつは、グスグスと一通り泣きやんだ後、じっと私の方を見て、大胆なことを言った。
  「ねぇ、そのティッシュ、全部俺がもらうから、付き合ってくれない」
  「………………は?」
   泣いていたヘタレは何処にいったのか、立ち上がって私に詰め寄ってきたあいつの真剣な眼差しに、一瞬ドキッとした。
   けど、道中で、そんな文句はどうみても変態行為だ。
   ティッシュ籠ごとそいつを殴り飛ばして逃げてしまった。
 それからというもの、それがどうとってオッケーとなったのか、次の日から、ずっとまとわりついてきたのだった。
   勢いでティッシュ籠を投げてしまったのが運のツキだったようだ。
けれど、はじめはうっとおしいしか、思っていなかったけれど、なんとなく読めるような、読めないような、あいつに惹かれていった。
 ……そして、あいつは音もなく、去っていった。
   私にあんなもん押しつけて。
「ねぇ、十湖ちゃん。次、どこいく?」
  「あ……、ごめん。私、この後バイトあるから」
   また、現実に引き戻され、そそくさと席を立ち上がる。
   なんか、泣けてきたから。
   しかし、ふいに手を引かれる。
  「いいじゃんか。だって君、バイトしなくても大丈夫だろ?」
  「は?」
   個室に押し戻され、視界が反転する。
  「いっ」
   冷たい床。
   さらに冷たい手が、首筋に触れる。
  「知っているよ。君、今では億万長者だろ?」
――嘘つきっ。大嫌い! もう、近寄らないでっ
 そう、叫びながらあいつの頬を叩いた。
   あいつは私のことをなんでも知っていたのに、惨めな私は、なんにもあいつのことを知らなかった。
大学生だってことも、住んでいる場所も、名前さえも全部嘘だった。
 知っていると思っていた。
   あいつのこと。
 何も知らなかった。
   好きだったあいつの言葉も仕草も全部、嘘だった。
   なんて、お笑いぐさなのかしら。
 痛かった。
   叩いた手よりも遥かに心が痛かった。
   好きな人に裏切られるって、なんて、とても悲しいのかしら……?
 今まで全く気付かなかった。
   悔しい。
   わたし、悔しいよ。
――ごめん。ごめんな、十湖。これで最後にするから。目を瞑って。
そんなの嫌だと叫ぼうとした私の眼を覆い、あいつは、さよならを告げるカウントをした。
――3、2、1……
 温もりが離れた瞬間、目を開いたけど、彼はいなかった。
   手には一つの鍵が。
   銀行の口座の鍵だったらしく、そこへ行ったら、銀行員の人が笑顔で説明してくれた。宝くじを当てた人が、その口座全部私に寄付したそうだった。
 身寄りのない、私に……。
   もうすぐ施設を出なければ行けなかった、私を哀れんだの?
 あいつは、私のこと全部知っていた。
   あいつは本当の名前さえ教えてくれなかった。
ずっと、嘘をついていた。
 でも、好きだった。
   好きだったのよ……。
「なぁ、十湖ちゃん。俺にも分けてくれよ。どうやって、手に入れた知らないけれど、俺と一緒にその金で、幸せになろうぜ」
   汚い吐息に身を震わせる。
  「……な、いわよ。そんなもの」
  「は?」
   頬を伝う雫は、苦しいのではなく、悔しさから。
  「だって、わたし、そのお金、燃やしちゃったもの」
  「!」
   むしゃくしゃして、一枚一枚、あいつとの思い出を消していくように、燃やしてしまった。
   あいつがなんで、私にあんなの残したのか、本当は知っていた。
   生きる為に必要な貯金から、無理してデートしていたから、多分、いや絶対、あいつはいやだったのだろう。
   けれど、私が欲しいのは、お金じゃない。
   私が欲しいのは…………。
「このっ」
   首を覆っている手に、力が込められる。
   息が苦しい。
結局、どっちが、本当の顔だったのかな……?
泣いている顔? 真剣な顔?
あぁ、もっと一緒にいたかった…………な………。
薄れていく意識の中、襖が開く音がした。
 あいつが、なんか言っている。
  「…………こ、とうこっ。ごめん、ごめんな…………」
   なんで、そんな苦しそうな声だしてんのよ。
   いつもの、無邪気さはどこへ行ったの?
  「お願いだ。もう、嘘をつかないから、ニコニコしないから、困らせたりしないから、目を覚ましてくれ……」
   なによ、どれも違ったの? あんたって、どんだけ嘘つき人間なのよ。
   ずっとあいつが握りしめている手が震えていた。
   そこに冷たい何かが当たっている。
 もしかして、
  「泣いているの?」
  「とう……こ」
   懐かしいのか、懐かしくないのかわからないあいつの顔が、ひどく歪んでいる。初めて出会ったときよりも。
  「よかったっ……」
   いつもの暑苦しい抱きつきじゃなくて、酷く壊れそうなものを抱くような、暖かみ。
   あぁ、そう言えば、私殺されかけたんだっけ。
 ん、ここどこ?
   酒屋じゃない。
  「ここ、どこ?」
  「あ、俺の家」
  「家……?」
   ということは、ここがあんたの正真正銘の家…………で、ここはどこまでが部屋?
   この天蓋のベッドから、どこまで?
   まさか、十メートル以上離れた、あのホテル並みに綺麗なドアまでじゃないでしょうね……。
  「ごめんっ。君に話せないことばかりあるんだ」
   私のどん引きに気付いてか、泣き腫らした瞳で、謝る。
  「本当のこと言ったら、もう逢えない気がして、巻き込んだらどうしようって、怖くて、怖くて、言えなかった」
   子供のような顔でも、いたずらな顔でもない。本当に困った顔。
  「でも、違う意味で十湖を危険な目に遭わせてしまった。…………俺は最低だっ」
   俯いて、消えそうな声で、謝る。
   初めて見た彼の素顔は、ここ最近ずっと近くで見ていた顔にそっくりだった。
   なんで、気が付かなかったんだろう。髪型変えて、分厚い眼鏡していただけで、わからないものかしら?
   移動の時も、バイトの時も、酒屋の時も、いつも私を見守っていてくれたの?
   一歩間違えれば、変質者扱いよ?
   あ、それは前とあまり変わらないか……。
  「ごめん」
   あんたは謝ってばかりね。
   なんとなく、あんたが私とは正反対の立場の人間だということは、わかった。
「なんで、そこまでして、私に構うの?」
   一番の疑問をぶつける。
   私を哀れんだのなら、おもいっきり、殴って帰ろう。
  「…………君が眩しかったから」
   は?
  「俺の周囲は嘘だらけなんだ。気味が悪いお世辞にも嫌気が指す。それが嫌でずっと逃げてきた。けれど、正体隠してどこへ行こうとも、皆、他人を欺く嘘をつく。平気で人の心を踏みにじっていくんだ。だから俺も人を信じないで嘘をついて生きてきた。それが普通なんだと思って。そしたら、あの雪の日、十湖に出会った」
   その年で一番、寒い夜の日に元気一杯に人に呼びかけながら、ティッシュを配っている君が、君の笑顔が、眩しかったんだ。
   思わず惹かれた俺は、目の前で転けて、君に近づいた。君は嫌そうな顔をしながらも、最後まで側にいてくれた。
   バイトの終わる時間を嘘付いてまで、泣いてた俺の側にいてくれたんだ。
  「君の嘘は暖かかったんだ……」
   今まで、人を欺く嘘にしか出会ってこなかった。
   人を憶って平気で嘘をつける十湖が眩しかったんだ。
   同時に、ずっと、君に嘘をついてきた俺が嫌になった。
  「だから、本当のことは話さずに、嘘をついたことだけバラして、君の元を離れようとした」
   でも、君は、裏切られたことより、俺のことでずっと泣いていた。
   唯一の償いのつもりで渡したお金も全部燃やして、ひたすら泣いていた。
   それを、見ていた俺は、気付いた。
「……本当は離れたくなかった、嘘をついてでもずっと、君と居たかった……ってことに」
   だから、別れた後も正体を隠して君を見ていたんだ……。
 長い自白の後、あいつは辛そうな瞳で真っすぐ、告げた。
  「好きなんだ。十湖のことが、誰よりも、何よりも」
   私は、正直、戸惑っていた。
   自分の嘘が、暖かいなんて、初めて言われたことに。
   はっきり言って、身に覚えがない。孤児だって言うことを隠そうとした嘘の方が多いと思った。哀れむ人もいれば、蔑む人もいたから……。
   彼のように、そんなこと関係なく、好きだなんて言ってくれた人は初めてだ。
   まるで、どこかのシンデレラストーリーみたい。
「側に居たいんだ。十湖。身勝手かもしれない、でも、もう離れたくない。どんなことになっても絶対、君を守り抜く。だから、俺の側に居てくれないか…………?」
   離れたくないのは、私もよ。
   もう、何も知らないのは、嫌。
   だって、あなたのこと好きだもの。
 答える代わりに、軽くキスをする。
   物語だったらこれで、魔法が解けるはずよね。
   そして、必ずハッピーエンドになるのよ。
そうね、まずはあなたの名前でも教えてもらおうかしら、騎士様(おうじさま)?