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横を見ても果てが見えない壁。
その中央にはめ込まれた赤い大門を前に立つ青年は、自分の身長の何倍もの高さを前にたじろいでいた。
白い息を吐きながらも、彼は意を決したように、扉を押す。
重いかと思った扉はすんなりと彼を受け入れた。
手入れの行き届いた庭へ踏み込んだ先には、一人の少女が待っていた。
「ようこそ、ルシィ様」
十歳に達したか達してないかぐらいのその幼子はきちんとした、たたずまいでこちらに一礼をし、どうぞ中へ、とルシィを促した。
案内された先は人を拒むかのように阻む樹林。
これらは、そのさらに奥にそびえたつ二つの塔を守るかのように、入り組んでいた。
二つの塔はどこか威圧的で離れてみてもわかるほどの造りがこの世のものとは思えない圧力を感じる。
神秘的なレンガで造られた建物は一番上の三角型の屋根にしか窓としての穴は空いていない。
青年からみて右の塔は“天恵(てんけい)の塔”と奉られている。
純白の『白』はこのことを讃えるのだと思うくらい、気高く畏れ多い念を抱かせるものだった。
その正反対を思わせる左の塔は純白ではなく背徳の黒に塗りつぶされていた。
「緊張なされているご様子。なにか、気になることでも……」
ございますか? この国では珍しい黒の瞳で、稚(いとけな)さが残る瞳がルシィを捕えていた。
そこで自分の拳が固く握られていることに気づく。
訪ねても良いのか迷う彼に、見透かしたように彼女は答えた。
「あなた様にお勤めして頂く場所は、ご察しの通り、こちらの"黒魔(こくま)の塔"でございます」
"黒魔の塔"
邪神が封じ込められた場所に建てられた塔。
かつて、邪神(よこしまのかみ)は人々に嫉妬、欲望、疑心、憤怒、様々な邪心を植え付け、負の感情を世界中にまき散らし混沌へと導いた悪しき存在。
封じ込めたのは、"天恵の塔"に眠る清神(きよかみ)。
世界が混沌に陥ったその時、天から舞い降りた清神は邪神を押さえつけ、人々の心に安寧と慈悲を与えた。
邪神を永久に封じ込め、人々を守護する使命の元、清神は"天恵の塔"と"黒魔の塔"を築き上げ自らその地へ眠りについたのだった。
人々の安らぎを護るために。
そうこの地の人々は信じていた。
たった一人を除いて……。
「……では、やはり、あの、"天恵の塔"にはいないのか?」
――願いを叶えてくれる、清神は……。
清神は切なる願いを叶えてくれる。
人々を愛した清神の真心は、眠った今でもそれは続いていた。
願いのある者は白き紙に願いを書き、国がそれを回収し"天恵の塔"へと供えると、清神は切なる願いを見極め、叶えるのだった。
しかし、それはまやかしではないか、という思考にルシィは気付いてしまった。
確かに願いは今も叶えられている。
では、"だれ"が人々の願いを叶えているのか?
それは本当に神か?
それとも…………。
その問いを確かめるためにルシィはここに来たのだった。
「こちらへ」
ルシィへ返答せず、少女は"黒魔の塔"の扉の前へ。
黒に染められた扉は禍々しい装飾ではなかった。取っ手からのびる細かいレリーフ、羽を広げたかのような翼の彫刻はどれをとっても、闇色なれど禍々しさは感じられない。
隠された荘厳がそこにあるようだった。
扉は少女に反応したかのようにゆっくり重々しく開く。
塔の中は、外壁とは違い灰色。
普通の塔と違うのは、きめ細やかな植物のレリーフが壁一面に彫られている。そして入った瞬間から背筋に感じる冷たい空気。
塔がまるで生きていて、至る所から、自分を見ているような悪寒を感じた。
吹き抜けのホール。
頂上へは壁から飛び出ている螺旋階段を上るだけ。
童女(わらべ)の後をゆっくりとついて行きながら、ルシィは己の拍動が急いているのに息苦しさを覚えていた。
この少女は何者なのか?
なぜ、ここにいるのか?
塔の上はどうなっていて、誰がいるのか?
なぜ、なぜ………………。
あらゆる疑念が渦巻く。
――あぁ、けれど……………。
知ってしまったら、もう戻れないかもしれない。
それが、ルシィの枷。
鼓動は脈打つのに、足は酷く鉛のように重い。
「怖いですか?」
ルシィの思考を完全に読んでいる少女。
「あなた様は、真実を知るために願ったのでしょう? この塔に」
「! どうして……」
「わたしはそれを、届けたものです」
「え……」
もう一度、どうして、とつぶやこうとしたが、目の前の階段が途切れているのに気づく。
「その問いは、この先で」
こちらを振り向かないで、階段を上りきる少女。
ルシィも後を追う。
すると、変わった模様が彫られている壁の右手と左手に小さな扉が見え、その少し先、正面には玄関以上に重厚な扉が、あった。
ルシィは押しても引いても動かなさそうなためらいを、その扉に感じた。
中央の扉の三歩前で少女は膝をつく。
「ミコト樣。ルシィ様をお連れしました」
――ミ、コト…………?
初めて聞いた名前。しかし、脳の片隅に引っかかる。
「よきに」
短い返事。
響き渡る空気のような声が、あの重たい扉からはっきりと聞こえた。
しかしそれだけで、その他は何も起こらなかった。
「では、ルシィ様。こちらの扉があなた様の寝所となります」
それだけ伝え、ルシィに向き直った少女は、扉から向かって左を指す。
「わたくしは、正面の扉にいますので、なにかあったらお申し付けください」
「ま、待てっ。……説明してくれ。…………お、俺は会えないのか、その、ミ、ミコト、樣に」
「あなたはここの門の護衛として、今日から三日間だけ雇われました。それだけでも、異例なのです。……今日の仕事はここまでございます。お疲れでしょう。ごゆっくりお休みください」
有無を言わさぬ慇懃な一礼。年齢にそぐわない幼子の威圧感にルシィの体は自然と従ってしまう。
――人ではないようだ。
そう身震いした。
あてがわれた部屋の戸を開ける。
「……ミコト樣は、体調がすぐれないご様子だということを重々、ご理解ください」
「え?」
扉を閉める瞬間、そう聞こえた。慌ててもう一度、回廊にでるが、少女の姿はもうどこにも見られない。扉の音も階段を降りる音も聞こえない。誰もいない静まり返った響きだけが鼓膜に届いた。
部屋に戻る。中は簡素な寝具と生活に必要な家具は一通りそろっていた。
ベッドに体をうずめる。ただ塔の中に入っただけなのに、ルシィはひどく疲れた感じがした。自分はここでは異物であるような、この塔に受けいれられていない、拒絶感がひしひしと伝わってくる。
「異例、か」
小さい頃、両親から話された清神の物語にどうしても腑に落ちない自分がいた。あそこに棲んでいるのはもしかして、人、ではないのだろうかと……。
ルシィはなぜそう思うのかわからなかったが、ただ、ただ、確かめたいという思いだけが募ったのだ。
そして、清神に送られる紙に、『誰が願いを叶えているのか、確かめたい』そう送ってしまったのだ。それが叶わなかったら、清神は『誰』でもない『神』の領域の存在だとわかる。
しかし、疑惑は確信に変わる。
一週間前、国の上層部のさらにごく一部しか、入ることは許されないあの塔の中への入室が許可されたのだ。
内密に。
ひっそり訪れた使者に手渡された手紙には、家族、知人にさえこのことは秘密にせよと、書かれていた。
――誰かに話したとしても、誰も信じないだろう……
話そうにも話せないが、正しいのかもしれない。
ここまで秘匿にされてきたものだ。
――俺は知ってもいいのだろうか?
早く真実を知りたい。
それが『怖いもの(真実)』だったら…………
うずまく思考の中、いつの間にかルシィは眠りについたのだった――。
彼女がミコト樣について語ったのは、次の日の朝だった。
作品キーワード【曖昧/神/願い/問いかけ/どうしようもない何か/シリアス】