山々に閉ざされた小さな村。
畑を耕し、森の恩恵を受け、周りの人たちと支え合って暮らす。
ひっそりと暮らす村人達。私もその一人。
いつもと変わらぬ日常、風景。
けれど、あの人は違う、違った。
私は台所から窓の方へと視線を向ける。
手製の木彫りの置物が置いてある、窓の向こうの家。
相も変わらず、暗いまま。
今日もあの人はいない。
私は深いため息をつく。
もう十日も帰ってきていない。
私の心配をよそにあの人は、この限られた世界以上に、自由に生きる。
この閉鎖された村は、険しい山と高い岩壁が外の世界を拒むかのように連なっている。
――ここで生まれ、ここで死んでいく……。
村の人も私もそれを自然と受け止めていた。
別に外へ何かを求める理由もないから。
特に気にしていなかった。
私は弁当というより重箱を包み、外へでる準備をする。
時折、この険しい山々を越えて来る行商人に物々交換で買った、絹性の淡いピンクのストライプブラウスと紺のフレアー・スカートを着て身支度を整える。
あの人はこっちより、ブルーのドレスを進めたが、派手だし着る用途がないと断ると、『着たら絶対に可愛いぞ。お前の灰色の髪とよく似合う』と言った。
あの時は本当に心臓が張り裂けそうなぐらい驚いて悲鳴をあげて帰ってしまった。
素で言わないでほしい、そんなこと。
無理だと思っても、期待してしまう。
あの人の頭の中は、別のことでいっぱいなのに……。
ため息をつきながら、重箱を両手で持ち上げて、ふらふらと外へでる。
天気は昨日の大雨とうってかわって、穏やかな日差しの空だった。
――これなら順調に、進んでいるわね。
乾きかけたぬかるみをまたぎながら、私は内心ほっとする。
雨の後は、危険度が増すと聞いていたからだ。
道行く人達に「こんにちは、いい天気ですね」と挨拶をしながら、彼がいる坂道を下りていく。
どんなに命がけの仕事でも、求めるものがその先にあるなら、迷わず進んでいく、そんなあの人を私はすごいと思う。
しかし、その度に不安でたまらなくなる。
愛おしいあなた。
でも彼は私を見ない。危険なことだからと、止めようとしても彼のひたむきさに丸め込まれてしまう。
つくづく自分は彼に弱いとあきれる。
『外の世界と自由に行き来できる、トンネルを創りたいんだ!』
元気よく子供のようにはしゃぐあの人は、最初いやがっていた村の皆を説得し、三年前から若い人達とトンネルを掘り続けている。
私はあの人に、お弁当を届けて傍らで見ているだけ。
なんにも出来ない。
ただあの人の大きな背中を見ているしか出来ない。
何も会話せず帰ってきた日もあった。
思い出すたびに、私の歩幅は狭くなる。
なんで、あんな人を好きになってしまったのか、自分でもわからないけれど、この思いが消える日なんて来ないことはわかっている。
それほどまでに彼が好きだから……。
ズ、ズンッ
急に大地が揺れた。
私はとっさに地面に座る。
周りの人達も、悲鳴などを上げながらしゃがみ込んだり物陰にしがみつく。
「じしんか?」
「かなり大きかったな」
「おい、だいじょうぶか」
しばらくして、揺れが収まりほっとするが、次の誰かの声で心臓が飛び跳ねるくらい驚くことになる。
「お、おい、あっちの方で崖崩れしてるんじゃないか?」
その人の指差す方を見る、遠くて見えないが私の目的地と同じ方向。
――あの人がいる場所……
「やべぇぞ、あっちは工事の…………」
誰かの声を聞き終わらずに、私は走り出す。
まさか、まさか。
重い重箱も放り投げ、長いスカートを捲り、全速力で願いながら、走る。
どうか、無事でいますように、と。
息を切らしながら、あの人がいる岩壁の近くまで全速で走っていると、顔見知りの人達が、私を止めに入る。
「あ、ねぇさんっ。危ないです。そっちは土砂崩れが起きていて、それに昨日の雨の所為でひどいんです!」
「あ、あの人は、無事なの!?」
そっちへ近づこうとする私を、彼らは必死で押さえようとする。
嫌な予感が、ざわめきが止まらない。だって皆、私を見て青ざめているから。
「とりあえず、安全な場所へ……」
「いやよ!!」
私は彼らを突き飛ばす。
この目で確かめるまで、聞きたくない。
「危険です!」
そんなこと百の承知よ。でも、あの人がいるなら迷わず行くわ。
不意に視界が開けた。
そこはいつもの風景ではなかった。
休憩所も作業道具も土砂に埋もれていた。
誰かが、何人かが一生懸命手作業で、いつも岩の壁に開いていた大きな入り口を、砂の中から小さな米粒を見つけるように捜していた。
「…………うそ」
あの人は…………?
周囲に見当たらない。
「下がってください! また崩れるかもしれません」
私を追いかけてきた人達が、腕を掴み必死に私をそこから連れ出そうとする。
必死で食い下がりながら、彼らに問う。
「あの人は……いまどこ……、どこにいるの!!」
私の迫力に押され、うつむきながら一人が答える。
「……棟梁は、仲間が何かを見つけたと連絡が入り、数人を引き連れてトンネルへ入ったきり…………」
頭の中が真っ白になる。
震えが止まらない。
あの暗い、暗い土の中に彼がいる。
「……なんとか、ならない、の?」
震える声で言葉をしぼりだす。しかし返ってくる言葉は、絶望的なものばかりだった。
「二次被害の可能性もあるので、手作業で今は進めていくしかありません。中の様子もわからないので、安否も確認できない状況です……」
例え生きていたとしても、密閉された中で空気が持つかどうか……。
目の前が真っ暗になるのをなんとかこらえる私。
いなくなる? あの人が……?
「いやよ、そんなの…………いや! いやよ!!!」
「今は、無理ですって! だから安全な場所へ、どうか……」
引きずられながらも必死で振り払おうとするが、彼らは離してくれない。
どうして、こんな別れをしなければいけないの……?
私が、もっと早く来ていれば、もしかしたらこんなことにならなかったかもしれない。
早く、危険だからと止めていれば、あきらめさせていたら、こんなことには…………。
後悔の念が渦巻く、冷たいものが頬に伝う。
認めたくない、まだ生きているかもしれないのに……。
狭い空間に、あの人がいるかもしれないのに、私は何も、できないの…………?
そんなの……いや!
「ちょ、いつっ、ね、ねぇさん!」
彼らに肘鉄を食らわせ、土砂に埋もれたトンネルへ駆け寄る。
何人かが私を止めに入る。
振り払う。
何かを言ってくる。
聞きたくない。
必死でトンネルがあった所の土砂をかき分ける。
私はあの人の背中をずっと見つめていただけ、追いかけてもいない。
伝えてもいない。
こんな形で、終わるなんて認めたくないの!
掘っても、掘っても、小石や泥しか見えない。
焦燥感に駆られる。
涙のせいで視界がよく見えない。
邪魔よ。
もう、何がなんだかわからない。
ふいに体が浮いた。
誰かが私を持ち上げたらしい。
「おい、何やってるんだ、おまえ? 危ないだろ」
おぼろげな視界で見にくいが見慣れた顔。聞き慣れた声。
顔は日に焼け、逞しい体躯のあの人。
ずっと捜していた人が、目の前にいて私を軽々と持ち上げている。
「なんで………………」
「ったく。危ないから、いつも離れていろって言っているだろ? お前ちっとも俺の言うこと聞かないよな。あれ? 泣いていんのか」
私の心配をよそに、呆れた顔つきでため息をする彼は、ごしごしと私の涙を拭う。
温もりが伝わる。
目の前の彼は、どうやら幽霊ではないらしい。
「と、棟梁? ど、どうやって? 無事で……?」
周りの皆も私と同じで、ぎこちなく今の今まで必死で捜していた人物を見上げる。
夢か幻か、判断がつかないようだ。
「ん? あぁ、心配かけたな、お前ら。よくわからんが、不自然な横穴を調べていたら、大きな揺れがきてな、元の道が崩れたからその横穴を、登っていったら外に出れたんだ。みんな無事だ。いや〜、ほんと、びっくりした」
相も変わらず、その人物は能天気にさらっと言う。
あれだけの揺れで、何時崩れるかもしれない所にいて、怖がらないこの人の頭は、もはや超人レベルだった。
「それで、その出口が結構入り組んでるんだ。数人まだ残ってるから、椅子とロープを持って手伝ってくれ」
「は、はい!」
呆然としていた皆は、彼の言葉に促され急いで作業を開始する。
ほっとしていいのやら、喜んでいいのやら、つっこんでいいのか、わからない、という表情だった。
私も、彼の腕の中でおそらくそんな顔をしているだろう。
というか、そろそろ降ろしてくれないかな…………。
私の気持ちをよそに、そのまま道案内をする彼。
荷物ではないのですが……。
彼以外、全員私に注目している。
は、恥ずかしい。
「そ、そろそろ降ろしてくれない?」
「? なんでだ?」
こっちが聞きたいわよ!
だめだ。こういう時の彼は別のことで頭が一杯の時なんだ。
何を言ってもダメだった。
何考えてるんだろう?
私の考えをよそに、トンネルから少し迂回したところで彼は立ち止まる。
「ここだ、おーい、無事かー?」
「「あ、お頭〜大丈夫っすーー」」
「え、なんで崖?」
私が疑問に思うのなら、皆そう思っているだろう。
脇道と言ったら、普通横穴を想像する。
しかし、取り残された仲間たちは遥か、絶壁の上から手を振っている。
トンネルは地上から真っすぐに掘っていたはずだ。
どうやって、あそこに繋がるのか。
「俺しか、この崖を降りれなかったんでな。ロープを」
ようやく、固まっている私を降ろし、ほぼ九十度の絶壁を、彼はすいすいと登っていく。
「すっげーな。棟梁」
感嘆な声を漏らす、皆。
それ以上の問題は、ないのか……。
命綱なしで登っていく彼にハラハラする私。
ついていけない感情に、私はため息をこぼす。
さっきまで必死に泣き叫んでいた私はなんだったのだろうか。
心配で胸が張り裂けそうになっていた私は、なんだったのか。
そんな気持ちに気付かない彼に、しだいに私は怒りが込み上げてきたが、そこでまた戻ってきた彼に抱き上げられる。
「え、ちょ、ちょっと、なに?」
「なにって、あそこに登るんだが」
さらっと、変なことを言う彼。救助はどうしたのか。
「意味わからないわっ。登れないわよ。あんなとこ」
「大丈夫。ロープで引っ張り上げるから。それにしてもお前、服泥だらけになっているぞ。可愛いのが台無しだ」
「っ!」
赤面する私をよそに、ロープで括り付けた椅子に私を降ろす。
「じゃ、いくぞ、はじめてくれ!」
ロープで椅子と固定された私はゆっくりと、上へ。
彼も一緒に素手で登る。
固定されているとはいえ、十メートル以上ある崖を見下ろすのは怖いし、何よりこの微妙な浮遊感が気持ち悪いので、必死に椅子にしがみつく。
ついたら彼に文句の一つでも言わなければ気がすまない。
そもそもなぜ、登らされるのか、見当もつかなかった。
「ほら、着いたぞ。目を開けろよ」
目を必死に瞑っていた私に彼はいう。
いつの間にか気持ち悪い浮遊感はなくなっていた。
「いきなり、こんなとこへ連れてきてどうするつもり!! あなたはいつも勝手よっ。どれだけ私が心配したと…………」
「ほらほら、そんなことより、見ろよ。これ」
私の怒りにも全く気にしてない彼は私の腕を引き、何かを指差す。
「わぁ…………」
崖の横穴。
そこから見える景色は、壮大といえるほどの輝く景色だった。
太陽に照らされ、キラキラと緑の山々の向こうにある、外の世界。
見たこともない建物が並んでいる。
未知の世界が風になびいて踊るように見えた。
「な、すごいだろ!」
目を輝かせ、笑顔で彼は私に同意を求める。
――ずるいわ、そんなの。
未知の世界なんていらないと思っていたのに、こんな景色と笑顔を見せられては何も言えなくなる。
うつむく私に、彼は不思議そうに覗き込んでくる。
お願い、見ないで。
「どうした? 怖いのか? 高いとこ苦手なのか?」
彼は、見当違いなことを言う。
「この風景を見たとき、一番にお前に見せたいと思ったんだが……、泣かせるつもりはなかったんだ、すまない」
それが口説き文句だとわかっていない、天然な彼。
どこまであなたは私を、惑わせるのかしら?
「違うわよ……」
周りの人達は、ニヤニヤしながら、どうぞ、ごゆっくりと言い、降りていく。
なんて聡い人達かしら。
それに加え、どうして彼はこうも気付かないのかしら?
「じゃあ、なんで泣いているんだ?」
彼は汚れた袖で私の頬をぐりぐりと拭く。
絶対言いたくない。
涙を止めようにも、とまらない。
ひたすら泣き続ける私に、彼は少し困り果て、優しく抱きしめる。
ポンポンと私の頭をなでる大きな手。
――ばか……
私がどうして泣いているのかわからないのに、あなたはなぐさめようとする。
私の気持ちも知らないのに、あなたはどんどん私の中に入ってくる。
それがひどく嬉しがっている自分にも腹が立つ。
だから絶対に言わないわ。
私から“好き”なんて……。
もしこのトンネルが完成したらあなたは、外の世界へ行ってしまうだろう。
私の方になんて振り向かずに、未知の世界へ。
外に行くことは怖い。
けれど、あなたがそこにいるのなら、行くのも怖くないかもしれない。
あなたを追いかけていくわ。
あなたの側に居たいから。
例えあなたが振り向いてくれなくても。
――大好きよ
だから、お願い。
今すぐにでも、私を見て……。
彼の心地よい心音に耳を傾けながら、一雫、私の頬に切ない涙がこぼれた……。
☆追記☆
ここまで読んで下さり、ありがとうございます!!
恋愛系第二段でーす。
戦争の方もこちらも、なんか発展せずに終わるという、微妙な結末ですね。
彩真はバッドエンドの方が、描きやすい派なんです!(←ひどっ
それはさておき、この主人公が好きな男性、いったいどこまで天然なのか……それとも、気付いているが無視しているのか、測りかねない超人ですね。崖を登るシーンで、猿か? と思ってしまった(笑
どこがいいんだろう? この男の……。
そんな突っ込みをしながら書いてましたが、好きになったら、なかなか嫌いになれないのは、どんな物でも一緒なのかもしれません。
彩真は十年ぐらい前から好きなものは変わってません。むしろ増えています。これからもじゃんじゃん増えていきそう(爆
そうそう、今回は人物に名前を付けずに、書いてみました♪
なんか、そっちの方がおもしろいかな〜って(苦笑
主人公の気持ちが、じんわり伝わったらな〜〜と思います。
それでは、長々としたあとがきっぽいものを読んで下さってありがとうございます!!
感想、疑問などございましたら、どうぞお気軽にお問い合わせなどでくださいな☆
では、次回まで、さらば!