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「朝餉(あさげ)の支度が整いました。こちらの部屋へお越し下さい」
その声が扉の向こうから聴こえた瞬間、俺は覚醒した。
いつの間にか眠ってしまったようだった。
白い息が部屋で遊んだ。気温が昨日より急激に下がっているみたいようだ。
簡単に顔を洗い、マントを着て扉を開ける。
昨日の幼子が一礼をして、どうぞこちらへ、と誘導する。
向かいの部屋は彼女の部屋だと思っていたが、違うようだった。
彼女の部屋に間違いないのだが、壁と壁に吊るされた洗濯物、湯気が立っている釜戸、いくつかの蓋の付いた竹籠。
まるで、小さな一軒家の中をのぞいているみたいだった。
お膳には野菜のスープ、米粥、漬け物。
簡素な料理だった。
頂きます、とことわって、スープをすする。塩加減の利いたおいしいスープだった。
「……ミコト樣は、一緒に食べないのかい?」
向かいで食べている少女にふとした疑問を問う。
「昨夜申し上げた通り、ミコト樣は、体調が優れません。ここ最近、ずっと寝たきりなのでございます」
「君が、看病しているのか?」
「いいえ。ミコト樣の病は治ることはありません。わたくしは身の回りのお世話をしているだけでございます」
「治らない? なぜ?」
願いを叶えることができるのだろう?
なぜ、自分の願いを叶えないのか。幼子は食べ終わった自分の食膳を片付けながら、告げる。
「ミコト樣はご自身の願いを叶えることはできません。それは世界が消える瞬間でもあるからです」
「え……」
「早く召し上がらないと冷めてしまいます」
これ以上の話はおしまいだというように黙々と箸を進める童女(わらべ)。
また話をそらされてしまった、不可解さが募るが、ぐっと我慢をする。彼女のいう通り無心でご飯を平らげる。
とりあえず、待つことが自分にとって一番最善の方法であり、この塔や童女、そしてミコト樣と呼ばれる人をわかる機会がここに滞在できる三日間だけなのだ。
――自らの願いは叶えられないのか……
それは滑稽に思う。
まるで自らの人生を全て投げ捨て、会ったことのない人々の願いを叶えひっそりと過ごす。
――それは神も同じか……。
清神は人々の安寧のために、この地に眠ったと伝えられた。
人間の欲求は果てしない。
清神が一に対して、何百万という人間がいる。
きりがない。
そう神は感じたのだろうか?
だから、人なのだろうか?
人の業は、人が背負うべきものだと神はあざ笑っているのかもしれない。
――それはなんて……
怖い想像を振り払い、俺は食べることだけに専念した。
食事の後は少女と一緒に黒魔の塔の外にでた。
白一面、滑らかな景色は、まだ積もるように空も間も白かった。
庭の手入れ、薪割り、塔の後ろにある畑の寒さ対策をする。
「これをいつも一人でやっているのか?」
「それがわたくしの仕事でございます」
「……俺以外は雇ったことないのか?」
かごにたくさん詰め込んだ温室野菜を引きずるように持つ幼子(おさなご)。俺はそれを軽いものと持ち替えながら訊いた。
「あなた様以外、この国の政府も知らぬことでございます」
「……」
「わたくしは清神の声を聴く者として、ここに使えておりますので、間違ってはいません」
相変わらず無表情の彼女だが、ここにいることは自分の意志でいることだとはっきり告げていた。
まだ一日と半日しか彼女と過ごしていないが、なんとなく彼女の性格がわかってきた。
ただ、真っ直ぐなんだ。
そして、全てにおいて厳しい。
(なんかすごいま逆だ。)
(あいつと。)
俺も平凡な村の平凡な人生だから、何ともいえないけれど。
普通に暮らして普通に学校いったり友達と遊んだり、普通に恋したり、そういうのと『ここ』は全く違う。
「なにか?」
自然と頭を撫でていた。
気づいた時には遅かった。
「あ、いや、別に……そ、その、あまりにもあいつと違っていたから……泣いてたあいつと……」
「あいつ……?」
「え、えっと、俺が生きていた人生と全く違うのに、今ここに一緒に野菜を採っているのが、すごい不思議だと……」
なぜか慌てて言い訳をしている自分がいた。どうも何かがおかしい。
俺はここに産まれて初めて来たのに、誰かが泣いているのが脳裏によぎったなんて、変な話だ。
話題をそらすためにもう一つの疑問を口にした。
「あっち、の、天恵の塔はどうなっているんだ?」
確か、ここに棲んでいるのはミコト樣とこの子だけ。
じゃあ、なんであの白く美しい塔が存在しているのだろうか……?
黒魔の塔でなければならない理由なんてあるのか……?
「中に、入りたいのですか?」
「え、あ、う、うん」
また見透かされた。
この子は他人の心が読めたりするのだろうか?
「あなた様は、顔によく心情がでます」
「っ」
「荷物はこちらに置いて、ついて来て下さい」
やはり、心を読んでいる気がする……。
熱くなった頬を冷ましながら、彼女に付いていく。
天恵の塔には黒魔の塔と違って、扉や壁には装飾が付いていなかった。
――まるでここには何もない、って語っているようだ。
「一つご忠告を。あなた様はここを一歩も動かない方がよろしいでしょう」
「え」
「開けます」
一歩前にでて少女は手をかざす。
それに呼応したように、扉がゆっくり外側へ開く。
「――っ」
動けなかった。動けるものならすぐさまこの場を離れたかった。
ほんの少し扉が開いただけで、全身から汗が、肺が押しつぶされそうな何かが塔の中から出てくる。
息ができない。
これはなんだっ。
膝をつきながらも精一杯開かれる扉を凝視する。
「あれ……?」
今も全身の肌寒さと汗が止まらないのに、見えてきたのは空っぽの空間。
開く前に感じた『何にもない』は当たっていたのだ。
白のレンガと床以外、黒魔の塔であった螺旋階段やレリーフ、置物など一切なかった。
それなのに、息を吸うのもはくのも、苦しいくらいの威圧感。
不気味だった。
「この塔の中心が、清神が降りてきた場所です」
彼女を見た。平然としている。
それが恐ろしかった。
もう一度、塔の中心を見る。
宝石のような小さな丸い石がはめ込まれているようだ。
清神は降りてきたのか……。
だけど、ここには眠っていない。
史実は半分正しく、半分は嘘。
真実を織り込ませることによって、皆の目をくらませているのか。
実際、この塔を目の当たりにして、誰も彼もがここに清神が眠っていると信じるだろう。
立っていられないほど、神聖なこの場所を。
扉が閉まり、ようやく息をすることを許された俺は、深呼吸を繰り返しながら考える。
一つ疑問が解決すれば、また別の疑問が産まれる。
どうして、清神は地上に降りてきたのに、史実のようにこの地上に眠り、生き物の安息を与えたかったのだろうか。
「それはこの地上の業は、この地上の生命が背負うべき業だったからです」
神は万物に等しく慈愛を与えるが、ただそれだけ。
「神は救わない――か」
「けれど慈悲を下さいました」
それがこの二つの塔です。そう述べた彼女だが、俺にはそう、思えなかった。
大勢のために君とミコト樣はこの塔に縛られているんだ。
『私の意思でここにいます』
そういった彼女に迷いはなかった。
それが引っかかった。
作品キーワード【曖昧/神/願い/問いかけ/どうしようもない何か/シリアス】