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その日の夜。
彼女はミコト樣が俺を呼んでいると告げた。
俺は再び、荘厳な扉の前にいた。
「ミコト樣、ルシィ様がお見目になりました」
二つの間があった。
「よきに」
ゆっくりと金属がこすれる音がして、扉が開かれた。
「……?」
天恵の塔のような威圧感を感じると思って構えていたがそこには静寂しかなく、少しの寂しさがある気がした。
扉から絨毯が敷かれており、奥の扉までそれが続いていたが、その右手に天涯付きのベッドがあった。
彼女はその隣にあったいくつかの燭台に火を灯し、俺を招く。
「ミコト樣、ルシィ様です」
カーテン越しにぼんやりと見える人影が微かに動いた。
「!?」
カーテンの隙間から映ったものは、皮膚が黒く変容した人が横たわっている姿だった。
俺の村にも黒い皮膚の人はいるが、これは別物だとわかる。
あちらこちらに細い亀裂、そこから黒い何かが全体に行きわたっているのだ。
願いを叶える人がどうして、こんな姿に。
これが体によくないものだとすぐにわかった。
(なんで、お前がそんな目に……。)
(どうしてっ。)
「それは願いを叶えるものが神ではなく『神格』した人間である私たちが行うからです」
「代償……」
「人には限りがある。ただ、それだけのことです」
事実をただ淡々と話す少女は、唐突に俺に振り向きこういった。
「どうぞ、ルシィ様。ミコト樣とお話しください。私は外で待っております」
「え」
なぜ……?
レース越しから見えるミコト樣はどうみても、しゃべりかけるのをためらう状態だ。
「ミコト樣が二人きりにして欲しいとおっしゃいました」
では……。そう告げて、彼女は出て行った。
俺は深呼吸してから意を決して、レースを捲る。
黒い痣から少しだけわかる白い肌。扉の外にいる少女と同じ綺麗な黒髪。
瞳の色は閉じられておりわからない。
(こんな痣がなかったら、お前は昔のまま綺麗な女性だったのだろう……。)
「あれ……?」
不意に俺の瞳から零れ落ちた涙。
どうして、こんなに胸が苦しいんだろう?
知らない女性なのに。
ずっと前に会ったことあるなんて思うのは…………っ。
「お……れは、どこかであなたに出会ったこと……あり、ます、か……?」
口に出すのが、はばかれる言葉を紡いだ気がした。
「…………」
「…………」
長い沈黙が下りた。
ふと、顔を上げるとエメラルドの瞳と目があった。
ミコトは笑っていた。
何も言わずただ、優しく微笑むだけだった。
言えないのか、言わないのかは俺にはわからない。
でも言わなくてもわかるよ。
(やっと、会えたな)
躊躇ったけど、ミコトの手に触れた。
冷たかった。
両手で包んで息をはぁー、とはく。
寒い時にはいつもそうしていたように。
それをずっと見守っていたミコトはゆっくりと瞼を閉じたのだった。
「なぁ……、どうして君は俺の願いを選んだんだ?」
言い伝えでは清神は切なる願いかどうかを選別する。彼女は以前いった。俺の願いを届けたのは自分だと。
俺のは切なる願いではなく疑問だ。
それも触れてはならない質問。
「文字を見ればその方の人柄がわかります」
「本当は知っていたんじゃないのか。俺とミコト樣の関係を」
「私はただ、願うべきものと願わなくてもよいものを選別しただけでございます」
あくまでも、偶然だと言い張るのは、聞いてはいけないことなのだろうか。
それがどうしようもなく虚しかった。
何もできない、できなかった。
全部を思い出したわけではない。
遠い、遠い昔、ミコトと俺は一緒にいた。
そして、どうにもならない何かが、俺たちを別れさせた。
あいつはずっと待っていたんだな。
俺が来るまで。
「どうにか、ならないのか?」
「どうにもなりません」
何が? と問わない。
おそらくここで起こっている全てがどうにもならないことなのだろう。
「君はなぜここに?」
「わたくしが次の神格、清神の意志を告ぐ者だから、です」
その言葉に愕然とした。
ミコトはもう永くない――。
薄々わかっていたことだが、それでもショックを隠せない。
「助けることは」
「できません。これが役目。背負うべきものを誰もが持っているように、これがわたくしとミコト樣が背負うべき役目、使命です」
「あまりにも、酷過ぎるっ」
「わたくしはそのように感じません。数年、外で過ごしただけですが、この国この世界が好きだと思いました。人を守るのは人。それでいいのです。神様は皆の拠り所であればいい」
彼女はそういって、微かに笑った。
「本当のことなど知らなくていい。そう考えているわたくしをあなたは哀れだと思いますか?」
「っ」
言い返せなかった。
彼女はここで生きることを誇りに感じている。
「……けれど、知らないままでいるのは嫌だっ」
「そう。だからあなた様を呼んだのです。あなた様だけが知っていればいいことですから。それだけで充分満たされるのです。とてもお優しいあなただけで。ミコト樣だけでなくわたくしのために泪を流して下さるルシィ様だけで」
ミコト様に会いにきて下さりありがとうございました。
目の前の少女は深く、深く礼をした。
どうして……それほどまで……。
「この世の生きとし生けるものは、何かの糧で生きている。ただそれだけのお話です。清神は人々の欲望という邪心を邪神とし、一人の人間の体に封じ込めることで、世界を平穏へと導いたのです。封じ込めたものはもう二度と解放してはいけないのです」
人の欲望は果てしない。だからそれを聞き届けられるという願いを与えた。
欲望を抑えるために。
そんなのまやかし……じゃないか。
止まらない涙を拭う。
それでも、清神の存在があるからこそ、この国では争いが起こらない。
飢饉も災害も起こっていない。
この塔の住人の人柱によって守られた国。
今すぐにでも皆に真実を打ち明けたい。
しかし、それは叶わない。
「争いを招くことを、その引き金を引くことを躊躇うあなた様だけの胸の内に、どうか、このお話をとどめておいて下さい」
明日の明朝、ルシィ様はここをでなければいけません。
そう唐突に告げられる。
「なぜ?」
「ここに普通の人間が長くとどまることはできないのです」
君だって、人間じゃないか。
「いいえ私はもうすぐ人ではなくなります。清神の一部になるのですから」
神格化し清神の一部となったら、人の寿命はなくなる。邪神が体の全てを蝕んだとき、神格は死を迎える。
これが遠い、遠い昔、人間と清らかな神と交わした約束――。
涙が止まらない。
悔しい。
何も出来ない自分が。
「きみの……」
「え?」
「君の名前を教えて欲しい」
最後の、最後の抗い。
「……ミト。ミコト樣がそう名付けて下さいました」
「ミト。忘れない、忘れないよ」
絶対に。
次の日の早朝、ルシィは二つの塔を後にしたのだった。
これで、本当によかったのでしょうか……?
ルシィ様が去って、その二日後ミコト樣は息を引き取った。
ミコト樣は長い、長い年月、あの人の魂と再び会うことを心に秘めて役目を引き継いだのだ。
覚醒するが遅かったミコト樣。
『大切なものが増えれば増えるほど、人は簡単にそれを捨てることができない……。』
そう、ミコト樣は話して下さった。
今ならわかる気がします。
ミコト樣はあんなに会いたがっていたルシィ様としゃべらなかった。
一言も。
好きと伝えなかったのは、「彼」が「彼」じゃないからか、告げてしまったら後悔してしまうからか。
もう真実はわからない。
最後のミコト樣は微笑んでいた。
それが答えなのかもしれない。
ミコト樣の部屋の奥、そこが願いの間。
黒壁ではなく白一色の部屋。
代替わりになるその時だけ清神が降りてくる。
その窓からこの国が一望できる。
これからはわたくしが、ミコト樣や清神の意志を継ぐ。
恐れも後悔も寂しさも悲しさもない。
それ以上のものを頂いたから。
昨日届けられた願いの一枚を広げる。
「あぁ、ミコト樣、本当にルシィ様はお優しい方ですね……」
それは願いではなかった。
『幸あらんことを――』
誰が書いたのか、誰に届けられたのか。
誰かを憶う「祈り」。
眩しいもの。
けれど。
「この『願い』は叶えることはできません」
胸の内に秘めておけばいい。
さようなら、ルシィ様。
ミトは、すぐ傍にある燭台へその紙を置いたのだった。
了
☆作品あとがき☆
微妙な具合にシリアスを満遍なくいれました!
コメディを書くのも好きですが、こうひたすら考える何かも大好きなんです!!
人の人生には『こうならなかった。』という選択の分かれ道を振り返る時が多々あります。決められた人生を受け入れる人もいれば、その人生を抗う人もいる。
これは、その両者の違いをちょっと考えてみた物語です。
運命に逆らえないことは悲しいことなのか?
運命って何なのか?
不可解な事だらけの疑問を物語にまぜまぜしてみたので、ちょっとだけ何か引っかかって下さると嬉しいです。
答えはあるのかないのか、私にもわからないので、ある一定の折り合いは、皆さん自身にお任せます。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
ギリギリになってしまいましたが、参加できて楽しかったです!!
孤独結社樣 「創作お祭り騒ぎ企画」参加作品
2012/9/29 彩真 創
作品キーワード【曖昧/神/願い/問いかけ/どうしようもない何か/シリアス】