夜は華を愛でる。



 慎夜が住んでいるマンションの近くにある喫茶店。昼時を過ぎたあたりは落ち着きを取り戻しており、静けさが心地よく漂っている。
 コーヒーを一口含み、あぁブラックはまだ慣れないなぁと独りごちる。
 その様子に胡乱な視線が一つ。
「で、いつ思い出したんだよ」
 ミルクレープを頬張りながら、ミックスジュースをクルクルかき混ぜ煉也は愚痴をこぼす。
「思い出したんなら、早くあいつの奇行を止めてやれよ。見てるこっちが怖かったんだぞ」
 親友が恋人に水をぶっかけられたり、暗闇に閉じ込められたりあれは焦った。思い出しただけでも煉也は身震いする。
 よくもまぁ、あんなおっかない彼女を好きになれたもんだ。
 向かいで記憶を失う以前のように落ち着きを払った様子で自分を観察している親友に畏敬の念をこめる。記憶を無くした彼はそれはもう芯が抜けたような男だったから、煉矢は戻ってほっとしていた。
 しかし当の本人は喋らない。ニコニコと笑っているのだ。
「おい、なんかお前、変だぞ。俺を呼び出したのはどうゆう用件なんだよ」
 まさか記憶を取り戻してないのか?
 そんな疑問がよぎる。
 恋人である陽華を独りぼっちにさせない為に、嘘を付いているとか……。疑いだしたらきりがない。なにせこの親友は誰にでも優しい反面、なんかこう、薄ら寒い怖さを放つときがあるのだ。
 ふと煉矢は、陽華が俺を彼氏に仕立て上げた時のことを思い出す。
 ――あれ、なんか俺、やばくね?
 無理矢理、腕を組まされたり、無理矢理抱きつかれたりしたが、記憶を失っているとはいえ慎夜の前で、大好きな彼女と嘘だけどラブラブしていたのだ。
 目の前で座っている男はそのことを怒りにきたのではないのか……、そんな考えがよぎり煉矢は背中に冷や汗が流れた。
「実は――」
「ま、待て、先に言わせてくれっ。お前が記憶を無くしているとき、あれは全部陽華からのアクションなんだ! 俺からは触ってないからなっ。俺はスイートマイハニーである染菓(そめか)にゾッコンなんだ! 神に誓って!!」
 だから思いの外、胸があったとか、そんなこと思ってないぞっ。と、手をあわあわさせながら証言する。
 そんな慌てふためく煉矢に、わかっているよ、と苦笑する。
「まずはこれを渡しにきたんだよ」
 机の上に伸びてきた慎夜の腕にビクッとした煉矢だがその手に乗っている物に目を見開く。
「俺の携帯!」
「俺の部屋に忘れってたぞ」
「あー、そっか。お前を落ち着かせてた時に忘れていったのか。通りでマイハニーから緊急用の携帯にしか連絡来ないと思った」
「ああ染菓には連絡してあるからな」
「まず俺に言えよ。従妹なのはわかるけどさー」
 慎夜と染菓は年の離れた従姉だ。そして煉矢は慎夜が彼女を連れて遊びに来た時に、恋という雷が落ちたのだ。当時小学生だった染菓に。それはもう慎夜が陽華にラブラブと同じぐらいに。
 だから、この慎夜の行動は面白くなかった。
「嫉妬したか?」
「するさー。内緒話みた、い……で」
 煉矢は尖らせた唇を思わずひっこめる。
「ささやかな嫌がらせだよ。どうだ?」
「……え、えっと、どどど、どうって」
 ――目が、目がぁぁぁぁぁ、笑ってねぇぇぇぇぇっ。
 蛇に睨まれた蛙はこういう気持ちだったのかぁ、と変な発見をした煉矢に晴れやかな笑顔で再び追い打ちをかける慎夜。
「まさかお前が記憶をなくした俺に対して、憤慨し突飛な行動にでた陽華を止めずに、馬鹿げた茶番に付き合うとは、本当に思わなかった」
「ハ、ハイ。ス、スビバセン」
「今度はお前が記憶を失ってみるか?」
「や、それだけは、無理、無理だからっ」
「もちろん冗談だ。俺が可愛い染菓を悲しませるようなことをするとでも?」
「そうですね。ごもっともです!」
 一瞬、ハンマーで頭かち割られて記憶を抜きそうだと思ったことを全否定する煉矢。笑っている慎夜はまだいい。その先があるから怖い。必死に煉矢は謝る。
「そこまで謝らなくても、突飛な行動に出た陽華が原因だからしょうがないさ。むしろ付き合わせてしまって悪かった。染菓にも可哀想なことをした」
「いや、俺は、大丈夫! 染菓もすぐに理解してくれたし、え〜っと、なんていうか」
「あいつには俺から言っておくから、大丈夫だ」
「いや、その、それがちょっと怖いというか心配」
「ん?」
「何でもありません!」
 意味ありげな笑顔の慎夜を見て、陽華を不憫に感じたから、そう怒るなよ〜って助け舟を出したかったのだが、怖かったので口を閉ざす。
 触らぬ神に祟りなし。
 内心陽華に合掌する煉矢だった。
 氷が溶けてしまったミックスジュースを勢い良く吸い上げながら場を和らげようと考えをフル回転させ、思いつく。
「あれ? そうするとお前大分前から記憶戻っていたのか?」
「いいや」
「へ、で、でも」
「記憶を無くしても嫉妬心くらいわくさ。嘘がバレバレだ。お前もあいつも」
「へ、へぇ〜」
 ――俺はもしや一ヶ月前から死亡フラグ立ってたのか!?
「お前からみたら陽華は怖いかもしれないが、俺からするとハラハラするほど可愛いんだ」
「うん?」
「だからもう二度とお前に抱きつかせないようにしないとな」
「……」
「あぁ、今のは独り言だ」
「はぁ……」
 煉矢は思った。慎夜は世渡りが上手い大概危ない人間で、彼の恋人の奇行でそれが目立たないだけなのではないのかと。
 ――計算高い男なのではっ
「今、失礼なこと考えているだろう」
「へ、い、いや、そんなことは滅相もございませんで、ですたっ」
「……陽華は周囲の人間が押し付けた負の感情を受け流す術がわからず反発することで自分を保てたんだ。奇行だとか思うな。虫酸が走る」
「…………ごめん」
 いつもの柔和な笑みを捨てて慎夜は不愉快を表にだす。彼女の生い立ちを軽くは聞かされていた煉矢はそれを思い出し、素直に謝る。
 そんな素直にしょんぼりしている煉矢に苦笑する。
「八つ当たりだ。すまない。どうもお前に対しての嫉妬心がまだ消えないんだ」
「そんなにか……?」
「ああ、この世でもっとも愛おしい人間を、記憶を無くしている間に盗られたと知らされたらお前はどうする?」
「そんなのありえない! 染菓がそんなことするわけないだろっ」
「そう思うだろう? だから……」
 ――虚勢をはってまで嘘を続けるあいつが悲しくて愛おしく思ったんだ。
「?」
「一ヶ月じゃ足りないくらいだった」
 どんどんトラウマの深みにはまっていく愛おしい人。
 ――あいつの苦しみを分かち合えるのにひと月では足りなかった。
「悲しいな。過去を分かち合えないのは」
 どんなに今が幸せでも過去の傷はそうそうに癒えない。
 記憶なんてなくても俺は陽華を手放さない。
 手放せるわけがない。
 心の中でずっと泣いているあいつに気付いてやれるのは俺だけなんだから。
 ふと横に映る恋人が待っているマンションを見上げる。
 健気に待っているであろう彼女を早く社会的にも個人的にも腕の中に閉じ込めてやりたいと、思う慎夜であった。

 

 
2014/11/15 彩真 創
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