Death Murder

第一幕  〜淡色の燈(とうろう)へ贈る朱雫(なみだ)〜  |2p


 仁美(ひとみ)は玄関先で自己嫌悪に陥っていた。荷物を半分放り出してきたのもそうだが、何より、見知らぬ他人をひっぱたき、罵声を浴びせて帰ってきてしまったからだ。
 カッとなって見境なく周囲に当たり散らし、その後冷静になって、自分の行動にへこむのが習慣になっていた。
「どうしよう……。で、でも、相手も変なこといってきたから、おあいこよね……」
 それでも彼女は、殴ってさらに暴言を吐いている。自分が悪いのは明白だった。
 しかも、彼に悪気があって言ったわけではないのならなおのこと。
「そういえば、彼、泣いていた……」
 どこかにぶつけて痛いのを誤摩化すために、言ったのだとしたら、自分はなんてひどいことをしたのだろうか。
 彼女は自分がとった行動の愚かさに焦燥を覚える。
「も、戻らなきゃ……痛っ」
 こんな時に……。仁美は頭を叩く。最近続く頭痛。疲れているのだろうか。壁に寄りかかり、深呼吸する。
「よし」
「あの」
「ひゃあ!?」
 戻ろうとしたその時、背後からエルベリトが現れた。
「な、なっ」
「忘れ物ですよ」
 差し出されたのは先程仁美が置き去りにした荷物だった。
「あ……、ど、どうもありがとう」
「いえ、こちらこそ先程は、すみませんでした。なんか僕、失礼なことを言ってしまって……」
「いやいや、こちらこそ……って、え、ちょ、ちょっと何してるの!」
 仁美は自分より身長の低い、みるからに年下の少年に土下座され、唖然とする。
 家の前でそんなことされては、たまらない。
「は、早く顔を上げて、立ちなさいっ」
「え、あ、はい」
(この子、天然?)
 素直に立ち上がるエルベリトをしげしげと観察する仁美。
 彼の顔を見た瞬間、先程の考えたことを思い出す。彼の肩を鷲掴みしながら確認する。
「どこか痛いとこない!?」
「は?」
 必死で視線を合わせないようにしていたエルベリトは、彼女のその強引さに固まる。
「痛いとこないかって、きいているのよっ。て、頬腫れてるじゃない」
「や、大丈夫です……」
「もう少し顔上げなさいよ。見えないじゃない。こんなに腫れてるのに何が大丈夫じゃないよ」
 断ろうにも、無理矢理、顔を真っ直ぐにさせられる。
「……あなたの方こそ顔色が悪いですけど大丈夫ですか?」
「私は平気よ。どこも痛くないわ。それで、他に痛いところない? とりあえず、家に上がって」
「本当に大丈夫ですから……」
「何が、大丈夫よ、そんな嘘、顔見ればわかるわよ」
「え?」
 力強く引っ張られ、玄関に入れられたエルベリト。その脇にあった鏡を見て納得する。
 いつもの泣き笑いが、痛みを堪えているかのように、とらえられたことに……。

 

間

 

「ほら、ちゃんと冷やすのよ」
「ありがとうございます……」
 煩雑としているようで、きちんと整っているリビングに通されたエルベリト。
 仁美は彼に濡れタオルを渡したかと思うとすぐさま、キッチンに行き食事の支度をし始めた。
 せわしない彼女の背中をポカンと眺めながら、エルベリトは小さく息を吐いた。
 ――フェル、すまない。しばらくそこで待っていてほしい。
 外で茂みに隠れている使い魔にメッセージを送りながら、視界を部屋全体へと移した。
 真新しい二階建ての家。
 この広い家に彼女だけしか生活感が感じられない。
「ねぇ、夕飯食べていかない? なんかお詫びしたいんだけど、そのくらいしか思いつかなくて」
 作り始めてから、それを言われると大抵の人は断りにくいのを彼女は知っているのか、エルベリトは困惑する。
「……」
「食べていくわよね?」
「はい……」
 有無を言わさぬ笑顔での要求につい返事をしてしまうエルベリト。もはや、完全に場を支配しているのは彼女だった。
「ところで、私は仁美。あなたはなんて名前?」
「エルベリト」
「あら、外国の人? ハーフ?」
「はい。母がイギリス出身で……」
 いつ誰に聞かれてもいいように、考えていた設定を返す。
 エルベリトは日本の隠れ家で産まれたし、先祖もずっと日本にいたので、日本人といってもいいのだが、外見が日本人離れしているため、そのような裏設定をしなければいけなかったのだった。
「じゃあ、イギリスに行ったことあるんだ!」
 急に声のトーンがあがった仁美。
「ねぇ、それじゃ、他の国も行ったことあるの?」
「えぇ、まぁ……。仁美さん、は、どこか行ったことないのですか?」
「う〜ん。小さい頃、一度行ったことあるみたいだけど、覚えてなくて。いつかは行きたいと思っているんだけど」
 なかなかね。肩をすくめた彼女にエルベリトは疑問を投げかける。
「……一人暮らし、だからですか?」
 瞬間、エルベリトの頬に何かがかすめた。
 そして背後の壁に何かがぶち当たった。
 ゆっくり振り向くと、壁が少しへこんでその下にしゃもじが落ちていた。
(包丁じゃなかった。)
 エルベリトはなぜかそのことに少しほっとした。
「えっと」
「なによ……、女の一人暮らしはそんなに悪い!」
 正面に向き直ると、再びの罵声。
「……いえ、悪いといってるわけではなくて、こんな大きい家に一人で住んでいることに、少し不思議に思っただけで……」
 なんとなく、今度は包丁が飛んできそうだとエルベリトは感じたので、言葉を付け加えるが、もう遅かった。
「そんなの、私の勝手でしょ!」
「……すいません」
 迫力に負けて、反射的に謝る。
「…………あの」
「なによ!!」
「僕、また失礼なことをしましたか?」
「気付いたんなら、もう黙ってて!」
「はい……」
 本当に地雷を踏んでしまったのかをわざわざ確認して、さらに地雷を踏んだ空気の読めないエルベリト。そんな彼に仁美は憤慨する。
(このひょろお!)
 そう叫びたいが、ぐっとこらえて、野菜を切ることにそれをぶつけた。
 彼女の怒り狂った所作を見ながら、エルベリトは為す術もなく、気まずいまま、時間だけが過ぎていった。

 

 

第一章 3pに続く
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