黎明を待つ夜

後編

 


  奇妙な魔女との生活が始まった。
 まず、わかりきったことだったが魔女は生活能力が皆無だ。
 お風呂に入ることも、寝ることも食事することも忘れる。寝転がって本を読んだり、思いついたようになにか魔法の研究を始める。
 なので俺は部屋の掃除から、魔女をお風呂に放り込むまで全部することにした。さすがに体を洗えと言われた時は、大声で断った。なぜか舌打ちされた。さすが魔女。
 彼女は寝転がって読みふけっている本を取り上げても怒らないし、濡れた髪を乾かすためにタオルでゴシゴシしても反応しないで、四六時中何かを考えている。
 思いついたように、俺のことを隅々観察しては、満足げに離れていく。
 魔女の力がこの身体に宿っているおかげで、人間だった頃より身体が軽い。簡単な魔法も使えるようで、風呂を沸かす時や家事をする時によく使ってしまう。
 使い魔のクロウが最初は人間が神聖な魔法を使うんじゃないと怒鳴ってきたが、魔女様がいや楽になるなら使えばいいと、クロウをはたき落として本の世界に入っていった。
(他の魔女もこんな感じなのだろうか?)
 そう思えてしまうほど、魔法に関しても生活に関しても自由だ。それがなんだか嬉しかった。
 

 この生活に大分慣れたころ、ずっと疑問だったことを口にした。
「魔女様、質問しても」
「…なんだ?」
「あなたの名前が知りたいです?」
「魔女に必要あるものではないからつけてないな」
「万物全て、必要あるものばかりなのでしょう? 魔女様の名前が必要ないなんてありえない」
「…ならば、お前がつければいい」
「は?」
「私はそういうのがわからない。名前に関しては人間のお前の方が得意分野だろう。…あぁ、名で呼んだほうがよいのか?」
「嫌です」
「?」
 確かに人間だった頃の名前は覚えている。でも、魔女様にその名で呼ばれてほしくない自分がいた。人間だった俺じゃなく、今の俺を知ってほしくて。つい思いつきを口にしてしまった。
「じゃあ俺が魔女様の名前を考えるので、俺の名前を魔女様、貴方につけてほしいです」
「? 人間だったころの名があるだろ?」
「いいえ、俺はもうほとんど人間じゃないです。人間だった頃を忘れたいわけじゃないです。ただ、これからは魔女様がつけた名前で生きて生きたいです」
「…ふむ。まぁいいが、先に言ったとおり、私は得意じゃないぞ」
「それでもいいです」
 それから、二人で色んな本をひっくり返した。といっても俺はもう決まっていたのだが、真剣に考えてくれる魔女様を見ていたくて、つい考え込んでいるふりをしてしまった。彼女は普段何も言わないし、そこまで魔女様が何を考えているか伝わらなかったので、まさか彼女に色々筒抜けなんてこの時までわからなかった。
「アウローラ」
「えっ」
 呼ぼうとした名前をなぜ?
「いや、やはり思いつかなくてな。お前が決まっているみたいだったから、参考にしようと。…なぜ夜明けのほうを?」
 魔女様の瞳も、髪もどちらかと言うと黄昏の色だ。クロウもそう言っていた。
「え、えっと、俺にとっては……」
 真っ黒な闇から光をくれた方だから。今この場にうるさい使い魔がいなくて心底よかったようないてほしかったような。何回目かの実家に帰らせて頂きますと帰ってしまったクロウが「くさいセリフだな! もうちょっと凝った名前にしろっ」ってわめきそうだ。
「あ、嫌でしたら、変えてもいいですよ…」
「なぜ? せっかく、ナハトがつけてくれたのに。私も決まったし」
「え、あ…」
"ナハト"
「私が夜明けならナハトは夜だ。夜を照らす光でいればいいのだろう?」
 なんて自信満々にいうのだろうか。いや実際すごい魔女であるけれど、探究心にかまけてこちらの存在を忘れているようにみえて、ちゃんと考え導を示してくれる。
「アウローラ様、ご飯にしますか?」
 多分この気持ちも伝わってしまうのだろう。でも貴方は何も言わない。だから、俺もいつもの通り過ごそう。
「そうだな」
 後日、うるさい使い魔に、「何、二重契約しておるんじゃ!」って怒鳴られてから名前交換の重大性を知ることになるのは、別のお話。

 

 

間

 

 

――数十年後の魔女集会

「きいた?」
「きいたわ」
「怠惰の魔女が、禁忌を犯したわ」
「どんな禁忌を犯したの?」
「人間に自分の瞳をあげたのよ」
「しかも子供に」
「まぁ、ロマンティック」
「それをいうなら母性でしょ」
「魔女に母性が?」
「うふふ、まさか」
「今回の集会に参加するそうよ」
「まぁ、見てみたい」
「楽しみね」
「どんな罰を与えましょう」
「ふふ、罰なんてあの子に意味があるかしら?」
「ないわね」
「そうね。あ、きたわ」

 

 

「アウローラ様……」
「なんだ?」
「本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ」
 見られている。無数の威圧感に主を抱えている腕に力を込める。
 何があっても守らなければ。
「守る必要はないぞ」
「勝手に覗かないでください」
「伝わるんだ。しょうがない」
 こちらにはあまり伝わらないのに……。不公平だ。
 昔と変わらず小さい彼女を離すまいと抱きしめる。

 

 

「……」
「……」
「まぁ、すごいわ! ボサボサの頭があんなに綺麗に!」
「服も身ぎれいになっているわ!」
「すごいドヤ顔ね」
「自分で動かず、お姫様抱っこされているの、いいわね!」
「結構可愛い子じゃない。私も飼ってみようかしら!」
 次々と感嘆の声が聞こえるが、着席したアウローラがナハトの袖をつかんで、ふんぞり返えりながら口を開く。
「一つ訂正を。私はナハトを飼ってなどいない。一緒に暮らしているだけだ」
「まぁ同棲宣言!」
「すごいわ。あの人間。名前までつけて貰ったのね」
「それが、人間もあの子につけたみたいよ」
「えぇ! まぁまぁ、もう運命共同体ね」
「やっぱりロマンティックじゃない」
 和気藹々に魔女たちが二人を囲み談笑するのだった。

 

 ナハトが心配したお茶会は、特にお咎め無しで終わった。
「ほら、大丈夫だったろう」
「なんというか、本当に自由ですね」
「そうか? どの魔女も己の領分をわきまえている。それだけだ」
 別に魔女同士争うこともない。そこまでお互いに感心がないのだ。
「人もみんな、魔女様たちのようになれたらいいのに…と時々思います」
「なぜ?」
「争いも飢えもなくなります」
「そうか?」
「そうです」
「ふむ。だが、そうはならなかった。だから、人間には争いも飢えもあるのだろうよ」
「……」
「人間は魔女にそう簡単になれるものでもない。人間は有限だ。そこには私達とは越えられない壁がある。それは決まっていることだ」
「じゃあ、なぜ俺は……」
「魔女の気まぐれだ。そう、私の気まぐれでなれた。…人間の運命に魔女はそれほど関心を持たない」
 気まぐれの命。目の前の偉大な魔女を信じているのに胸がなぜか痛む。ナハト自身、魔女に近づいただけ。有限の域を少し超えただけだ。寿命は無限の魔女とは違う。いつか終わりがくる。それが寂しいのだ。だがその感情を魔女たちは一生知ることはない。
「有限だから、たくさんの感情が溢れるのだろう。私はナハトに会ったから、それを知った。それは悪いことではないと思うが」
「え」
「私はナハトといると"楽しい"ぞ」
 普段必要最低限の言葉しか発さないアウローラはそう微笑む。
「万物全て必要あるものばかり、と言ったのはお前だぞ」
(っ、覚えて…くれていた)
「…そうでしたね。アウローラ様」
「なんだ」
「命尽きるまで、一生お側にいたいですっ」
「いてくれないと困る。私は動くのが苦手だ」
 あぁ、なんて方だ。
 どうして貴方の気持ちはこちらにわからないのだろう?
 どうしてこんなに貴方は優しいのだ。
 片目の代償がこんなに軽いはずがないのに。
 それすらも特に問題ではないというのだ。死を超越した存在はただただ時の流れを受け入れるだけだった。
 できる限りお側にいよう。そう誓う。

 強く、強く小さな主を大切に抱きしめて、ナハトは帰路につくための呪文を唱えたのだった。

 

 

間

 

 

――数百年後

 怠惰の魔女は永遠の眠りについた。
 禁術である人間に魔女の力を与えた代償として。片目を与えたときから魔女は魔女ではなくなっていたのだ。

 でもそんなことは関係のないことだ。
 所詮、魔女は好奇心に勝てない。

 ずっとずっと前に眠りについた人間の顔を優しく抱きしめ「いつもお前が抱きしめてくれていたな」と囁いて静かに眠りについたのだった……。

 

挿絵

 

 了 

 

2020/5/30 完結
ーー天狼の涙雲は朧となるーー
に「怠惰の魔女」で掲載後、正式にタイトルを決めてこちらで掲載しました。
Twitterで流行ったタグ#魔女集会で会いましょうを元に書いたもの。
前へ  戻る
copyright(c)2010- Tukuru Saima All right reserved.since2010/2/5