「だから、違うってば!!!!」
奇天烈な声が聞こえた。誰かが壁越しで騒いでいる。
うっすらと、目を開ける獅童。
視界には見慣れない真っ白な天井が映る。
「諍(ソウ)、隣の部屋へ、伝言を」
「かしこまりました」
今度は間近で聞こえる、声のやりとり。
どれも聞き慣れた声だ。視線を横にふるとソウが扉を出て行く姿が目に映った。そして、皓彗に気付くキリトの姿が。
「目、覚めたかな?」
「キリト、さん」
獅童の後見人兼里親のキリトは、豪華な椅子に優雅に座っていた。
キラキラひかるプラチナブロンドの中に混ざる黒髪を緩やかにひとまとめにくくり、いかにも高級そうなスーツとファーのついたコートを着こなしている。
目が覚めてすぐに彼の姿は、少々目が痛いと思う獅童。
「…………」
「ん? 病院だよ。君は撃たれたから運ばれたのだよ」
まだ、先ほどの夢の余韻があるのか、頭がはっきりしていないが、キリトの言葉で弾かれるように起き上がる。それをキリトが愛用のステッキで制した。
「っ」
「動くと体に触るよ。事件の方は君と君の学友たちのおかげで無事、解決したよ。強盗事件は未遂に終わったのだよ」
ゆっくり諭すように説明するキリト。そして、手に持っていたボタンでベッドの上半身をあげる。皓彗が落ち着くのを待ってから事のあらましを語り始める。
「犯人は計八人。実行班は知っての通り四人。人質の中に一人仲間が、逃走経路確保とジャミングして電波種害を起こしていた二人、そして管理室にいた人物が今回の事件を企てた司令塔だったみたいだね。全員捕まったよ」
「全員?」
「そう全員。実行役の四人と人質の中の一人は、君達が捕まえてくれたけれど、後の三人は、緊張のあまり幻覚を見て気絶していたみたいだね。…………君がやったのかい? 運で」
その言葉に同意をしかねる獅童。運をプラスに変えられても、幻覚を見させるなど、そんな都合のいいことできないからだ。
獅童の無表情を見て、キリトはふむと考える。
「そうか、君じゃないのか。君が事件に巻き込まれると大体、幻覚で意識を失う犯人がいるからね。君に備わったのかと思ったよ」
キリトは獅童の特異体質のことを知っている。話したわけではない、キリトの観察力がずば抜けているからだ。そのためすぐに、あの事故の後、獅童が特異体質者だとわかった上で、里親を申し出たのだった。
『君達を捜していたのだよ』
その真意のわからない微笑みでそう語った、キリトの言動は幼い獅童には、わからなかった。しかし、七年間こうして彼を普通の日常にとけ込ませてくれている。
意図はわからないが、信頼できる人物だと獅童は認識していた。なにより人見知りの苑もキリトが家に来ると必ず一緒に遊んでいるからだ。
「犯人達は、なんの幻覚を見たのですか?」
「いつもと同じだよ。とてつもなく怖いものを見た。それ以外曖昧にしか返ってこなかった。まぁ、警察側は緊張と興奮で見た精神的なものだろうと解釈しているから、あまり気にしなくていいよ。君のことは"現場にいた青年が一人軽症"という扱いにしといたよ。あまり騒がれるのは好きではないだろう?」
「いつもすいません」
この特異体質の所為で、色々事件に巻き込まれる皓彗。その度にうまくキリトは世間に何らかの圧力をかけてもみ消してきた。彼は一体どんな権力者なのか、獅童は知らない。
表向きにはどこかの社長という肩書きらしいが、それだけで事件をもみ消したりできるはずがない。
一度聞いてみた事があるが、笑顔で『話してもいいけれど、おそらく聞いてはいけなかったと思う部類に入るよ。それでもいいかい?』『遠慮しときます』と即答した程、その表情がヘビに睨まれたような目だったからだ。
唯一わかった事は、各国のシンジケートと繋がりを持ち、すごく多忙ということだった。
「なに、平気さ。人質の中で唯一君だけ怪我人で、犯人達と比べると軽症の部類に入るからね」
「……」
「あぁ、犯人達の報道は"勇敢な青年達によって取り押さえられた"としておいたよ。半年の重傷とかはさすがに警察側も言いにくいだろうしね」
「なんか、本当にすいません」
*** ***
犯人達の動機は、やはり例のアタッシュケースだった。中身は各幸吉銀行支部の見取り図や各店舗の顧客の資産表、一部のお得意様の個人情報など、機密情報が入っていたらしい。
そのケースは銀行本部へ移動するために一時的にあそこの支部に保管されていたのだった。
犯人達はその情報をどこかで入手し、スムーズにいくように仲間を二ヶ月前からあそこに潜入させていたらしい。
主犯であった管理室の犯人は、元幸吉銀行の重役だったが些細なミスで降職を余儀なくされた、いわゆる逆恨みだったようだ。
後日知ったことだが、彼だけは獅童のことを騒ぎ立てたみたいだが、精神鑑定の結果異常者と判断されたようだ。
心底キリトに感謝し自分のあまりにも無力さを歯痒い気持ちが心に滲みた獅童は、ふと問題児達の事を思い出す。確か先ほど漠の怒鳴り声が聞こえたことに。
「君の御学友は隣の部屋にいるよ。移動させた、の方が正しいかな。私がここに来た時、君の前で喧嘩していたから隣に移動してもらったのさ。まぁあまり変わらなかったようだが。諍をあちらに向かわせて今は静かになったようだね」
その問いを見透かしたよう答えるキリト。
「喧嘩?」
「あぁ、私が一度これらのことを処理するために席を外す間、諍に最近開店したばかりのスイーツ店のケーキをもてなしておいたのだよ」
「まさか、それらの取り合いを……」
どっと疲れが増した獅童。撃たれた左腕が重く感じる。
「詳しく言うと切り分けかな。あ、これは君の分だよ。彼らは先に君の分だけ用意したみたいだ。後日、別に用意すると言ったのだが、『それは今日でなくなる、意味がない』と」
彫りの深いアンティークな机の上に半分になったホールケーキが置かれていた。
今日行くはずであったあの店のケーキが。
「よい学友に出会えたね。起きているのだし、今食べるかい?」
「いや、あいつらに渡して下さい。俺がこれを食べる権利が……」
ない、と言おうとした瞬間、皓彗はケーキを口の中に突っ込まれた。思わずむせそうになるが、なんとかこらえる。
「君の感情の疎さはギネス級だね。ここは感謝するところだよ。彼らに事件に巻き込ませた罪滅ぼしをする所ではない。それにこの事件は君の所為ではない」
まだわかんないのかな?
微笑んでいるが、怒っているようにも見えるキリトに、皓彗は何もいえない。
動機があって、計画性も高かったこの事件。普通ならこれは巻き込まれたものは不運な出来事だ。
しかし、皓彗には自分自身が犯人達に事件を引き起こさせる要因になったと思っていた。
事前準備が万端ならいつでも、この事件は起こせたからだ。休日より平日の方がなおさらやりやすい。
そう考えていたら、またケーキを押し込まれた。
「マイナス思考も世界一だね。君が君の学友を巻き込んでくれたお陰で、店員に紛れ込んでいた犯人も捕まえることが出来たんだ。君の学友は称賛に値するよ」
「え……? まさか、あの女性……」
あの普通に怖がっていた女性も犯人グループの一味だったとしった獅童、女の演技はオスカー並みだと思ってしまった。
「私は、事件が発生してすぐに、君達が巻き込まれていることを知って、駆けつけたのだよ。その時には、ちょうど事件が収束した直後でね、すばやく君達を個別に保護し、佐々見くん達に話しを聞いたんだ。潤一郎くん、すごいね。君との待ち合わせから話しの内容を全部話してくれて、佐々見くんは、店員の一人も絶対妖しいからこと細かに調べてくれと、すごい剣幕で私に話してくれたよ」
その後は、君のことや君の安否を耳にタコやイカがでるくらい聞かされた、とキリトは心中でつぶやいた。
獅童はなんかいたたまれない、申し訳ない感じがしたのとほっとしている自分がいた。
「何もかも悪いことばかりではない。もう少し、君は周りに頼るべきだ。…………ちなみに私は苑くんから連絡がきたから駆けつけることができたのだよ」
「苑が……?」
まだ、その時は外に事件は明らかになっていなかったはずだ。なぜ、苑が知ることが出来たのか。
「苑くんなりに、何かを感じとったみたいだね。なにか起きるかまでは知らなかったみたいだけれど、君のいる場所へ早く行ってくれないかと、緊急電話にかかってきたよ」
本当は事件が起きる少し前に、事のあらましを苑の使いとおぼしきものに知らされたのだが、本人はそれを皓彗(あに)に知られるのが怖いらしい。キリトはそのことを承知でぼかして伝えた。
そう、犯人達を幻覚で戦意喪失させたのも苑だということも知っていたのだった。
*** ***
「そういうわけで、私はそろそろ行くよ。あぁ、しばらく入院の君の代わりに、苑くんには烏(カラス)くんをつけといたから」
立ち上がりついでに、さらりとキリトが放った言葉に、ケーキを突っついていた、皓彗は吹き出した。
「か、烏さんを、ですか? なぜ……また何か……」
彼はしたのですか? その獅童の疑問を始めて苦笑いで返したキリトだった。
烏とはキリトの執事補兼護衛である。明るく子供っぽい性格が足を引きずるのか、仕事でヘマをすることが多々あるそうだ。
しかも苑は彼を苦手としている。獅童も彼の破天荒ぶりは潤一郎に重なるのだが、彼の方が大人びている分、天然度は上をいくので、正直潤一郎より手に負えなかった。
てっきりソウさんあたりが来ると思っていた獅童だったので、その発言に少々狼狽えたのだった。
キリトの苦笑いでさらに不安になる。
「正直言うとね、今手を空いているのが、烏(カラス)しかいないのだよ」
「それって……」
「うん。まぁ、何もいわないでくれるかな」
にっこりと微笑むキリトの後ろに、いつの間にか控えていたソウのしわのある額に怒りマークがあるのをはっきり見た獅童だった。
(烏さんの仕事の後始末に、ほとんどの人がおわれているってことでは………)
獅童は心の中でそうつぶやいたのだった。それでもキリトが烏を手放さないのは、一万の失敗よりも一つの成功を重宝しているからだった。
現にキリトの部下達も烏のことを心から信頼しているのは獅童も知っていた。
「彼のこと苑くんは苦手と思っているけれど、嫌いに思っていないみたいだから、快く了承してくれたよ。ソウもたまに見に行くようにするから、心配はいらないよ。後、今日の詳しいことはその机の引き出しにしまっといたから明日あたりに目を通しとくといいよ」
「ありがとうございます」
左手をギブスで固定されているため、あまり動かせないが精一杯感謝の意を表す皓彗を後にキリト優雅な足取りで部屋を出て行った。
「皓彗様。今日買う予定でしたお店のお菓子等は、そちらに置いてあります。皆様でお食べ下さい。また、苑様とバイト先の方々にも送っておきましたので」
「えっ、わざわざ、そんなこと、結構ですのに……」
獅童は自分が買わなければ意味がない、キリトさん達が食べて下さい、と断ったが、ソウは嬉しそうに微笑んで、やんわりと告げる。
「いえ、わたくしどもにまで、買って下さろうとしたそのお気持ちだけで十分です」
そしてソウはお大事に、と会釈し、主の後を追いかけていく。その背中に、もう一度お礼の言葉を獅童は告げたのだった……。