淡い夕闇 君を攫う……  戦争×悲愛 第二部

  
 お前が遠くへ行ってしまう。
 行くな。
 そっちへ行ってはだめだ。
 倒れる間際、俺は紫煙(しえん)の空に消えていくムイを見て思い出す。
 ムイと初めてあった日のことを……。

 ――お前は知らないだろうが、俺が小さかった頃はまだ確かにあったんだ。
 平穏で幸せな時間(とき)が……。

 

間

 

――数十年前 ユウ 五歳 ムイ ?歳

 俺が生まれる前のそう遠くない昔、核兵器やミサイル、地雷などで国同士が戦争を始めた。
 理由は知らない。
 ただ何かの会議での些細な出来事が、きっかけだったと、父さんはいっていた。
 そして戦争が始まり、少数の国での争いだったのが、しだいにたくさんの国が参加しはじめることになる。
 最初は戦争を止めようとしたかったのだろう、けれどいつまでたっても終わらなかった。
 続く戦いにほとんどの国々は財政も兵器もつき、銃や剣や遠心力を使った武器など、古典的な兵器で今は戦っていた。
 終わりなど無いかのように。
 どこかで何かがねじ曲がってしまったのだ。
「どうして、そんな昔になった戦争が今も続いているの? なんでやめないの?」
 俺は小さいながら疑問に思っていた想いを、父さんに聞いた。
「……どうしてなんだろうなぁ。父さんにもわからないよ」
 そしたらいつも元気に笑っている父さんが、目に涙を浮かべながら微笑んでいた。なんとなくだけれど、俺は父さんが答を知っているんじゃないかと思った。だけど、それ以上聞けなかった。
 俺がこの答を知るのは、父さんも母さんもいなくなったずっとずっと先のことだった。

 数日後、この小さな村にも徴兵令が出され、父さんは帰らずの人になった。
 別れるとき父さんは俺の頭をなでて「少しの間母さんを任せたぞ」と笑った。俺は泣きながらうなずくしかなかった。

 些細なきっかけで始まった戦争は、しだいに全ての土地を巻き込んでいった。
 澄んだ山々に囲まれた俺の故郷もなくなった。母さんは俺を引き連れて必死で逃げた。
 小さい頃見た、きれいな青空はもう見えなかった。
 暗い黒い、排煙の空。
「いつか終わるわ。こんな戦争(怖いもの)。だからあなただけでも生き延びて……」
 これが母さんの最後だった。瓦礫に埋もれた母の体は幼い俺では、助けることができなかった。
 悔しかった。何にも守れない自分自身が。
 憎かった。戦争が。

 俺は逃げた。必死になって。
 そしたらいつの間にか国が建設した孤児院の中にいた。

 

――ユウ 七歳 ムイ 約九ヶ月

 孤児院に来てから二年が経った。
 ここでは俺と同じように孤児の子供が、毎日未来の兵士になるための特訓をされた。
 この国はまだ優勢の状況にあるらしい。
 だから十五歳以下の子供までは戦場に出されない。
 俺は兵士になりたくなかった。
 けれど、もう安全な場所も帰る場所もない。俺はここしか残っていなかった。
 それが悔しかった。
 でも、母さんの言葉を信じて俺は自分と同じようにここにいる皆と一生懸命、辛い特訓を乗り越えた。

 ある日、俺は休憩時間に施設の庭を歩いていたら、どこからか小さな声が聞こえた。
 泣き声のようだ。
 俺は急いで辺りを見渡す。
 ここには赤ん坊はいないはずだ。
「どこから聞こえるんだろう……?」
 近くの塀へと足を向ける。塀は三メートル以上ある。その近くは手入れされておらず草むらがたくさん生えていた。

 おぎゃぁ

 すぐ側だ。
 俺は必死にその辺りの草をかき分けた。
「あ……」
 かき分けた先には布にくるまれた小さな赤ん坊が泣いていた。
「どうしてこんな所に……?」
 まだ生まれてそう経っていない赤ん坊。
 どうやってここに入って来れたのだろうか?
 俺は不意に何重にもくるまれた布をみて、血の気が引いたのが分かった……。

 もしかしたらこの子は捨てられてしまったのか……? と。

 確かに今、生きるか死ぬかの時代だ。
 生まれてきた子供を養える時間さえ、おしまれる。そのぐらいの時間があれば敵から逃げ延びれるからだ。
 未来の命さえ危ういこの状態。
 なぜ、誰も変に思わないのだろうか……?
 しかし、この辺りは国の中枢部でまだ安全地帯。
ここまで来て捨てる理由がわからなかった。
 俺は土で汚れてしまった赤ん坊の顔を丁寧に拭う。
 いやがる仕草を見せる赤ん坊の動作に違和感を覚えた。
なぜ、右腕しか見えないのか……。
「っ!」
 俺は驚いて、確かめる、あるはずの左腕を。
 しかし、その子にはなかった。
 ……たった、たったこれだけのことで、この子は捨てられた。
 こんな悲しいことがあるのだろうか……?

 おぎゃあ、おぎゃあ

 必死で泣く赤ん坊、まだ自分は生きたいと叫んでいるかのようだ。
 俺はぎゅっとその子を抱きしめる。
「大丈夫だ、俺が守ってあげるから……」
 俺の言葉を理解したのか分からなかったが、その子は俺に笑う。
 その笑顔が、その無垢な笑顔が、なぜだか俺の心の奥を熱くさせた。
 何も出来ない自分だが、この小さな、小さな命を守る力がほしい、この時 俺はそう強く思ったのだった。

 

――ユウ 八歳 ムイ 約二歳

 ムイを見つけたあと、教官達に頼み込んで彼女がここで暮らせるようにしてもらった。
『俺がこの子の分まで戦う!!』
 そう怒鳴っていた。
 腕がない、女の子だ……とぼそぼそとつぶやいていた彼らに、常に逆らえな かった大人達にそう叫んでいた。
 一瞬の間の後、一人の教官が、何かを長官に告げた。
 少し思案した長官は、しばらく俺が面倒を見ることを条件に承諾をしたのだった。

 彼らの意図を知るのはまだ先のことだったが、俺はこの二年間、ムイとできるだけ一緒に過ごした。
 ムイは最近立てるようになり、ちょこちょこと俺の後を無言でついてくる。
 必死で俺の服の裾を掴みながら歩くその姿が、愛おしくてしかたがなかった。
 けれど、ムイは感情の表現がうまくできないようだった。
「そら、くろ?」
「え?」
 自由時間の時、俺はムイと決められた裏庭で遊ぶ。
 周囲にあまり影響を与えないためと、色々制限がつけられていたが、ムイと一緒にいられるなら我慢できた。
 ムイは灰色の空を見上げて、次に絵本を指差す。
 古い絵本、タイトルは『青空の果て』。
「そら、あお、ない」
 ムイは絵本をじっと見つめる。無表情に首を傾げながら。
 消えてしまった空の色。俺はどう説明しようか迷う。
「……昔は、空は青かったんだ」
「あお?」
 絵本の中の空を指すムイにうなずく。
「どして、くろ?」
「それは…………」
 この世界が荒んでいくたびに、澄み切った青が黒く塗りつぶされていった。
 この空には、もうかつての青空は見えないのだろうか?
 困惑した俺に、幼いムイは目をぱちくり開けて、俺の顔を覗き込む。
「あお、見えないの?」
 その瞳は、不安を映していた。俺はとっさに答える。
「いや、もうすぐ見れるさ。昔のように澄み切った青空が。空に大きな声で お願いしたら、いつか空にその願いが届くんだ」
「ほんと?」
「あぁ」
 きらきらと目を輝かせ、ムイは空に向かっていう。
 とっさの嘘に俺は胸が痛んだが、彼女が喜ぶ姿を見て、嘘をついてよかったと思った。
「あおが、みたい!」
 おねがいね、そう無邪気に初めて笑ったムイが、なんだか愛おしくって、いつまでも見たくなった。
「にいちゃ、は、なにをおねがい、する?」
 キラキラとした瞳で、ムイは訪ねる。苦笑しながら答えるユウ。
「ムイと一緒だよ」
 もし、本当に願いが叶うのなら、いつまでもムイと幸せな時を過ごしたい……。
 そう、思ったユウだった。
 しかし、この穏やかな時間は、戦争の情勢であっけなく変わってしまったのだった……。

 この数ヶ月後、法律が激変したため、幼いムイは新設された施設へと連れて行かれ、引き離されてしまった。

 

――ユウ 十歳 ムイ 約四歳

 月日が流れても、俺はムイに会えなかった。
 なんど、面会を申請しても許可が下りない。
 新しい施設には新しい子供達が入れられた。
 風の噂では、俺たちよりももっと幼い子供が入る所らしい。
 いったいあの施設で何が起こっているのか、旧施設にいる俺たちは知る術がなかった。
 法律の改正により二年後には、戦争に赴かなければならなくなった。
 俺より年上の人達は既に、出立の準備を始めている……。

 戦争がさらに激化したのだった。

 終わらずに、激しくなるばかりの戦争。
 胸騒ぎが収まらない俺。
 一体君は今何をしているのか、何を思っているのか、不安でならなかった。
「なぁ、しってるか? どうやら新しい方に入る奴ら、洗脳されるらしいぜ」
 同僚が、こっそりと話す。俺はその言葉に驚きすぐさま訪ねる。
「洗脳ってどういうことだ?」
「決まっているだろ、戦争に必要なのは戦う技術。それには感情が邪魔だって。だけど、俺たちのようにある程度感情が芽生えた人間には、洗脳が効きにくい、だから感情がまだ幼い子供達を集めているんだろうよ。まぁ洗脳というより教育だけどな。いかに敵を都合良く倒すか。この国は劣勢に傾いているからな」
 聞いていた同僚達が息をのむのが分かったが、俺はもうすでに走っていた。
「お、おいどこ行くんだよ」
 一人の同僚が俺を追いかけるが、俺は構わず走り続ける。
「まさか、その施設に行くんじゃないだろうな……?!」
 そのまさか、だ。そんな話を聞いたのなら、もう無理矢理でも行かなければ……、ムイをあそこから連れ出さなければ……!

 ムイをここに居させてくれる許可がおりたのは、このためだったのか。
 俺たちを人形のようにするためだったのか。
 俺は馬鹿だ。
 言われるまで、わからなかったなんて!
 ムイ、どうか、間に合ってくれ……!!

 俺は奔走する、すぐに止めにかかる教官達、しかし皮肉なことに戦闘訓練を毎日受けていた俺の方が素早く動け、躱すことが出来た。
 それになぜだか、同僚達も足止めに加わってくれた。
 心の中で感謝し、ムイの居る施設へ。

 中は俺たちと似たような建物だが、明らかに雰囲気が違った。
 暗くじめっとした空気。
 そして、何か臭う。
 俺は鳥肌が立ちながらも、歩を緩めるどころか全力疾走する。
 なぜだか、この匂いの先にムイが居るような気がして、ならなかった。

 ムイ、ムイ!

 叫びながら、地下へと続く階段を下り、止める奴らを振り払い重たいドアを開けた。
 その瞬間、今まで分からない匂いの正体がはっきりとわかった。

 血の匂い。

 ぽつぽつと明かりが照らされる薄暗い部屋。
 その中心にムイと数人の子供達が居た。
 上には何人か教官が見ている展望室があった。
 暗くてよく見えないが。ムイが座っているのは分かった。

「ムイ……!」
 俺はムイの所まで駆け寄る。
 振り向くムイは何かで汚れていた。
「ムイ。一体………………!」
 昔と同じ無表情なムイだが、その瞳は暗く沈んでおり何より俺の目を引いたのは、血にまみれたその姿だった。
 その頬には、光る雫が見えた。
 手に握られた小さな刀。
 傍らに横たわっている一人の大人。
 倒れてうめき声を上げている子供達。

 守れなかったーー

 愕然とした、震える手でムイの手を握る。
 小さな小さな手。
 その手は微かに震えていた。

 

「っ、ごめん、ごめんっ。ムイ……」
 ムイはよく分からないとでもいうように、首を傾げた。
 彼女の感情はこの二年でどこかに消えてしまったかのように、虚ろだった。
「あなたは…………だぁれ?」
 その一言で、俺は自分の浅はかさを思い知らされた。
 簡単に彼女を手離さなければよかった。
 無理矢理でも会いにいけばよかった。
 もうムイには俺と一緒に過ごした記憶さえも、この場所に奪われてしまった。
「なんでっ、お前なんだ! なんで…………こんな……違う、こんなの違う…………!」
 俺の悲痛な叫びは騒がしくなった足音でかき消された。
 集まってきた教官達。

 俺はとっさにムイを抱き上げ走った。
 逃げる場所なんてない。
 ないけど、お前をこれ以上…………

 ピィィィィィ

 誰かが笛を鳴らした瞬間、俺は宙を舞う。
 何が起こったのか分からなかった。
「っ!?」
 突然のことで受け身がとれず、地面に叩き付けられる。
 そして、そのまま誰かに腕を掴まれ縛られる。
「よくやった。……“隻腕の死神”」
 俺を抑えている者に向かって、長官がそう告げた。
「ム……イ?」
 俺を投げたのは、今押さえつけているのはムイだった。
 その手は震えていない。
 紅の暗い瞳は俺など見ない。
 まるで機械のようにその瞳は何も映していなかった。

 もう、俺の声は届かないのか……?
 俺は何一つ守れないのか……?

 連れて行かれる、ムイと離れてしまう。
 いやだ!
 けれど拘束された俺は動けない。ただ奥へと行く、お前を見ていることしか出来なかったーー。

 

――数十年後 現在

 激戦の中、俺はスローモーションのように君の背中を見送る。
 あの時のようになってしまう。
 それは、だめだ。
 足に力を込める。
 倒れては、ダメだ、君を追いかけなくては……。

 あの後、俺は誓ったんだ。
 どんなに死地へ向かおうとも最後まで、お前の側にいることを……。
 お前が忘れていくものは、俺が全て持っていく。
 お前がなくしたものは、おれが与えてやる。
 守れなかった俺を許せとはいわない。
 側にいさせてくれ。

 どんなに離れていても、どんなに険しい場所でも俺はお前を見つける。
 敵も味方も関係ない。
 俺にとってムイを、お前を奪う全てが敵だ。

 ただ『敵を倒す』それだけが今の戦争を動かす糧となっている。
 昔、父さんがなんで俺に言えなかったのか、今になって分かったよ。

 もう、俺たちは狂気や怨嗟で、何が大切なものなのか、忘れていってしまっているんだろう……?

 そして大切なものを持っていること、これを守り続けることがこの戦場で、 どんなに辛いのか、苦しいのか、父さんは知っていたんだ。
 どうしたら、守れるのかな?

 こうしてムイの側にいたくて、副隊長にまでなった。
 けれど、俺は戦いたくない。
 彼女にこれ以上戦わせたくない。
 ムイは自分があの地下で泣いていたことも、この戦場で、一時の休憩の中で微かに震えていたことも気付いていないんだ。
 食べ物を受け付けないのも、記憶を忘れていくことも、自分がこの世に存在してる意味がわからないだけなんだ。
 けれどムイは、心の奥底では強く想っている。

 生きたい、と。

 小さくなっていく君の背中へと、駆け出す。
 襲いくる敵を、全力でなぎ払う。
 刹那に見た、君の涙。
 俺はお前を置いて、死なない、死ぬものか。
 待っていろ、俺は必ずお前の側に行くよ……。

 お前を守るから…………。

 

 
果てがみえない空に『いつか……』は届くのだろうか? 第三部へ続く
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