右ニ剣、左ニペンヲ…

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 人は嘘をつく。
 他者を欺くため、自分の身を守るため、理由は様々。
 平気で裏切るのだ。
 だから私は、嘘・裏切りに気付いたら、罰を与える。
 誰であれ。
 そう、例え心惹かれる相手であろうと……。

 正面に立っているジェン・ランキュリエ護衛隊長の胸へそっと身体を預ける。
 彼は驚いていたがすぐにフロアを優しく抱き返す。
 その温かさに彼女はわずかに動きを止めたが、ゆっくりと両手に力を込めた。
 彼のうめき声が漏れる。
 手の平に生暖かいものが滲んでくるのを彼女は感じた。
 弾みで机に置かれたインクがこぼれ落ちる音が耳に響く。
「っ……。姫、な、にを……」
「裏切ったら、刺す。そう約束した」
 だから実行したのだ。
 ナイフを引き抜こうとしたフロアだが、なぜか手だけが抜けた。
 不思議に思い、己の手の平を見つめる。
 そして初めて自分の手が震えていることに気付いた。

『ベーゼ大公――叔父さまと繋がっているのか?』
 真意を確かめるべく、隊長の瞳を覗き込む。
 相変わらず、瞳は曇り空。うまく隠されていた。
『まさか。我が身、我が命全て、フロア・アゲロス王女に捧げております』
 その率直さが俺は結構気に入っているのですよ。
 跪き、忠誠の口づけを軽く交わしながら、にこやかに返された。
 護衛という身分など全く関係なく答えたジェン。
 それはフロアにとって新鮮なことだった。
 だからだろうか?
 いつもなら誰であれ疑わしいと感じる言動に、その時だけは心地よさを感じた。
 隊長が不審な行動をとっていると、他の護衛たちの報告を受け、ベーゼ大公と彼が密会している現場を目撃したとき、フロアは納得と同時に落胆した。
「残念だ……」
 噛み締めた唇に零れた言葉。
 絨毯に染みでる血の跡を辿る、海色の瞳と目が合う。
 その瞳は淡々としている紅い瞳を見つめ返し、そして寂しそうに笑うのだ。
 上段まじりの嘘を見破られたときの、飄々とした笑顔ではなかった。
 彼は何も言わない。
 ただ、深くため息をついた。
 彼の瞳は……。
 フロアは一つの考えが浮かぶ。
「もしや、私は落胆しなくても良かったのか?」
「は?」
 苦しそうに、不思議そうにジェンは突拍子もないことを言い出した王女へ、問い返そうとしたが遮るように、執務室のドアが唐突に開かれた。
 フロアが何事かと確認する間もなく、矢が放たる。
 その矢が真っ直ぐ自分の方へ向かっているのをフロアは認識した瞬間、勢いよく肩を掴まれ引っ張られた。
「っ……」
 うめき声が耳元で聞こえる。
 目の前に映るのは見慣れた胸ポケットの護衛隊長の紋章。
「ジェン……」
 庇われたことに気付いた瞬間、崩れ落ちる隊長を支えるフロア。
「ジェン、大丈夫か?」
「はや……く、にげろ……」
「生きていたか」
 ほっとするフロアは傷口を目で追う。自分が刺した腹、さらに矢を受けた背中どちらも致命傷にはいたらない。しかし、このままだと出血多量で危険な状態になる。
 先に止血をしなければ……、そう行動に移そうとした王女へ手を差し出す男が一人。
「お迎えにあがりました、フロア王女」
 にこやかに、笑っていない瞳を向ける男にジェンが唸る。
「アヴァルッ……おま、え……っ」
「王女への最後のお話は終わりましたか、隊長?」
 フロアはアヴァル・リューグナー副隊長の後ろに4人の男の顔を確認する。
 大公の元で見た兵士だった。
 そして、アヴァルの瞳を覗く。
 いつもの霧のような瞳ではなく、汚泥の色。
「なるほど、私は本当に落胆しなくても良いみたいだ」
「? どういう意味ですか?」
「大公に仕えている守護精は偽姿見(イリエナ)を得意とするようだな。全く気付かなかった。貴様が大公の従者、リューゼだということを」
「なっ」
 ジェンと大公が密会しているのではなく、大公の部下が偽姿見で姿をジェンに変えその姿を目撃させただけだったのだ。
 ――モルテ、真実とは実に滑稽だな。
 信じていれば、こんな単純な嘘に騙されることもなく、自分を守ってくれる部下を自ら傷つけることもなかったのだ。
「……見破られたのならしょうがありません。どうぞ大人しく来て頂ければ、貴方に危害は加えませんよ」
「私を殺そうとしたものが、よくそんなことが言えるな」
「いえいえ。殺そうだなんて思っていませんよ。貴方に向けて矢を放てば隊長は必ず貴方の盾になり怪我をする。そうすれば隊長を倒す確率は増えるでしょう? まぁ、もっともそんな必要がなかったのかもしれませんけど」
 ちらりと、フロアが刺した傷口を見て、アヴァルは笑う。
「私は囮か。なるほど、騙し討ちではアヴァル、いや、リューゼ、貴様の方が上なようだ」
「お、い、早く逃げ……ろ」
 矢に毒が塗られていたのか、言うことを聞かない身体を無理に起こさせようとしているジェン。
 幾多の死線を越えている隊長と言えど、こんな状態で戦うなど誰が見ても無理だとわかる。
 フロアはそっと彼を起こすのを手伝い、腰に付いている柄を握る。
「借りるぞ」
 幾多の命を切り捨てた剣は重かった。
 なんとか片手で握るフロアの腕をジェンは掴む。
 右手に剣、左手には壊れた銀のペン。
 代々王家が受け継いできた、災厄を招くペン。
「戦うのですか、貴方が?」
 あざ笑うアヴァル。
 蒼白するジェン。
「ばかっ、なに……するつもり……だっ」
「こんな状況で逃げられるわけがない。それにお前を置いて逃げるのは嫌だ。信じてやれなかった私を許してくれとは言わない。これは私なりのけじめだ。ただ黙ってやられるだけの私ではないことを、この裏切り者たちに教え込まなければ。それに……」
 部下のおとしまえをつけなければ。
 なぁ、そうだろう?
 モルテよ。
 フロアは左手を真っ直ぐ目の前に持っていく。
 その動作の意図に気付いたアヴァルは笑みを強張らせた。
「まさか……っ、まだ継承の儀(オウスリート)はすんでいないはず、守護精(プロトスピリト)を呼び出すことなんてできるはずが……」
 フロアは薄く笑う。
「喜べ。お前たちが、欲しがっている精霊が見られるのだぞ」
 このエスプリル王国を二千年、隣国からの争いを退けた最高の守護精がいた。
 皆が畏怖する【死】の精霊。
 これを使役するのはこの国の歴代の王達。
 フロアも王の血を受け継いでいるが、父上である王に精霊を授かる前に、王は亡くなった。
 父亡き今、契約を続けるための唯一の方法、継承の儀(オウスリート)はフロアの来月の十五の誕生日に執り行われる。
 その時に、暗唱する詩をフロアは読み上げる。
 左手のペンを掲げて。

「生(いく)るは死、輪廻は回帰。暗黒の雨、安らぎの川……」
 身じろぎする相手を見ながら、フロアは、心の中で自分を貶す。
 私こそ嘘つきだと。
 
 ――モルテ・ラ・モールよ。 聞こえるか? 我が命によりその姿を表せ

 心の中で眠っている奴に呼びかけをすると何やら嬉しそうに蠢いた気がした。
 月夜が照らす床の影がフロアの辺りを覆うように這い出してくる。
 黒衣を纏うとはこのことだとフロアは思う。
 闇のローブを巻きそこから這い出た顔は青白く、大きな赤い目を薄く開いて覗かれた犬歯の歯が不気味な笑顔を作る。
 その姿に周囲の者はたじろぎ戦慄いた。
『我ガ主。如何様デ我ヲ呼ビタルカ?』
 黒い精霊はほくそ笑みフロアの顎へ指を這う。
「なぜ……だ。呼べるはずがない。」
 ありえない。
 瞠目し譫言のように呟くアヴァルを訝しむジェン。
 ――まさか、知らないのか?
 ベーゼ大公直属の部下が?
 継承の儀を行わずとも、精霊と契ることができることを。
 一抹の不安を拭えないジェンは出現した精霊が悪魔にしかみえなかった。
 ただ一人、その悪魔に向かって淡々と命ずる。
「このならず者どもに、罰を与えたい。力を貸せ」
『何ナリト』
 黒い悪魔が諾と受け取ったことに、ひっと息を飲むアヴァル達。精霊とは思えないほどの異形さに完全に尻込みをしている。
 そんな彼らに特に何ら感慨もわかないフロア。
「安心しろ。この精霊はお前達に直接攻撃を仕掛けることはない。私自ら貴様らに罰を与えるのだから」
 ――デハ、如何様ニ、奴ラヲ始末スルノカ?
 ――ジェンと同じ身体能力と攻撃センスを私に
 ――……ナルホド
 モルテは必死に立ち上がろうとしているジェンに一瞥し、納得したように笑みをこぼす。
 このお嬢様は表情には現れていないが、そうとうご立腹のようだ、と。
『デハ、我ガ隷属―バリガ―ヲ呼ビ寄セヨウ』
「隷属ではないだろう。お前の仲間だ」
 真っ直ぐ射る瞳に軽く肩をすくめ、聖戦の精霊―バリガ―を呼び寄せる。彼の手の平に幾重の光がフロアの周りを覆う。
 暖かいと感じたフロアの耳に優しい吐息が触れた。
 それが精霊―バリガ―の存在だと認識する。
 フロアの身体が淡い光に包まれたことに身構える後ろの男達にアヴァルは命ずる。
「その精霊が直接攻撃してこないというのは、まだ契約は不完全だということだ。先に王女を黙らせろ」
 幾分冷静さを取り戻したアヴァルは光に包まれるフロアから目を逸らさずそう言い放つが、それより先にフロアは動き出していた。
 アヴァルより手前に立ちすくんでいる部下へと使い込まれた剣を導かれるまま振りおろした。迸る血飛沫を浴びながら、足首を捻らせ続けざまにその次へと剣を薙ぐ。
 しかし、さすが刺客というべきか、フロアの突然の攻撃に僅かに動揺したもの、振りかざされた剣をかろうじて交わす。
 ――奇襲はやはり最初だけか。
 冷静な頭で判断したフロアは、攻撃を切り替える。
 体全体の捻りを利用して、向かってくる攻撃をかわし、重心を剣に注ぎ、相手の防具ごと切り捨てる。
 ――あぁ、これが、お前が普段見ている景色なのか。
 フロアはそう感じた瞬間また胸が跳ねたような気がしたが、そのリズムに合わせてまた強く剣を握る。
 総ての敵を殲滅せんがために。

 女性であるフロアでは考えられないような力技に、目撃したものは瞠目する。
「な、これは……」
 見覚えのある攻撃にアヴァルは冷たい汗を流す。
 フロアの攻撃の避け方、敵の倒し方、それはジェン隊長の戦う姿そのものだった。

 ――まさか、これが精霊の力……っ

 圧倒的な力に対して成す術がない。次々と斬られていく部下達をリューゼは呆然と見ていることしかできなかった。
「残ったのはお前だけだ」
 そう告げて、幼さを残す女王は、断罪の剣を振りかざした。

『トドメヲ刺ササナイノカ?』
「今はな。公の場でこの者達を操っていたものと一緒に処分を検討する……それよりも、モルテ」
 剣を降ろし浮いている精霊を見上げる少女は、どこか焦燥した瞳で、ジェンを治してほしいと命じる。
 それに少し満足しながら頷いたモルテは治癒の精霊―ホリィ―を呼びだしジェンに纏う。
『コレデモウ大丈夫ダ』
 無表情で礼を述べ、精霊に包まれている部下へと駆け寄る。
「っ……」
「なぜ泣いている?」
 全てが終わったから、もう大丈夫だ。そう告げようとしたのだが、彼の頬からは止めどなく雫が零れていくのを見てフロアは困惑した。呆然としている彼女に、彼が噛み締めていた唇を開く。
「どうして……、あなたは、大切にしない」
「何をだ?」
「ご自身の命だ!」
 継承の儀を行わずに死の死神―モルテ・ラ・モール―を呼び出すことは、即ち死のリスクを負う。
 そうジェンは聞いていた
 あの大公に。
「なんだ……そんなことか」
「そんなこと……っ」
「安心しろ。継承の儀などしなくても、とうの昔に、私とモルテとの間で契約済だ。産まれ付き精霊が見えるものは、継承の儀など行わなくても、契約できるのだ」
 これは継承するものだけが知っている情報。
「一番皆を騙していたのは、私だ」
 嘘が嫌いと周囲に公言しておいて己自ら嘘を付き通していた。
 なんてひどい王がいるのだろうか。
「すまない。ジェン」
「……嘘は」
「ん?」
「嘘はそれだけでしょうか?」
「ああ」
 さらりと返す。
 だが、護衛隊長はくしゃりと顔を歪ませた。
「あなたは嘘つきだ。俺以上に」
 彼にはどうやら隠し事は無理なようだ。だが、フロアはそれ以上口にしない。
 誰にも言うつもりはない。
 一生。
 そのことを知って知らずか、彼はまだ痛む身体を起き上がらせ、幼さの残る細い手を強引に掴んだ。
「俺のお願いを聞いて下さいますか?」
「何だ?」
「簡単に命を投げ出さないと、約束して下さい。あんたはたった一人の俺の主なんだ」
「……」
 あぁ、彼の瞳は晴れ渡る海のように透き通っている。
 その奥にある想いまでも静かにけれど熱く伝わった。
 どうしてだろう。フロアはこんなに嬉しいと思ったことはなかった。
 自然と頷いていた。
 モルテもジェンも彼女の表情を見て驚いた。
 常に無表情を貫いていた彼女が微笑んだからだ。
 すぐに表情が戻ってしまったが。
 ――あぁ、あれは本当に嬉しがっているのだな。
 同時に揺らいでいるのだと、モルテだけがわかったのだった。
 手の甲に忠誠を誓う口づけをする騎士とそれを受け入れる王女の美しい光景を後どれくらい見られるのか、と少し悲しく思ったのもモルテだけだった。

 

間

 


 覚悟が揺らぎそうだ。
 あなたの必死な縋り声にどうしてこんなに胸が高鳴るのか。
 けれどごめんなさい。
 最後まで嘘をつくわ。
 私はモルテを選んだ。
 だから、ジェン、あなたの想いには答えない。
 答えない代わりにずっと側に射て欲しいと我が儘を言い続けるわ。
 貴方が私に対しての気持ちが変わるまで、ずっと。
 それが、私が私自身に許された唯一の恋心。
 モルテ。
 貴方を選んだことに本当に後悔はないわ。
 大切な人を守ることができたもの。
 だけど今だけは見ないで。
 涙で濡れた心の中を。

 

 

了 
番外編『モルテの憂愁』に続く→

 
2014/6/21 彩真 創
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