「は、はは! へーへっへへ。最後の最後に馬鹿なこといわなけりゃ、もうちょっと生きれたのによう。馬鹿な奴だぜ」
「う…………そ……だ」
きみひろは信じられなかった。こんなにも簡単に人が死ぬなんて想像していなかった。温子から離れた表街道でもわりと豊かな土地に小さい頃に移り住んだきみひろにとって、今日の出来事はまるで悪夢であった。
どんな生き物でもあのマグマのように熱い炉で生き残ることができないのは、夢でも現実でも明らかだ。
「さぁて、お次ぎはボウズ、お前の番だ」
ひとしきり、笑い終えたグレイは、きみひろに視界を映す。
「こ、の、人殺……っ!」
ドカッ
腹に蹴りを入れられ、きみひろは椅子ごと吹っ飛ばされる。続いて二、三蹴られ、顔を地面に叩き付けられる。
「口の聞き方に気をつけろよ! ガキィ。今俺は機嫌が悪いんだよ」
「!」
すっかりご機嫌斜めなグレイは、おもむろにきみひろに八つ当たりする。
痛みでむせるきみひろに容赦ない蹴りを入れる。
「そもそも、あの馬鹿野郎を連れてきたのはお前だよなぁ。どうしてくれるんだ? この胸くそ悪さはよぅ。おい、こいつも釣り上げろ」
「……っく、ひっく」
助けを呼ぶことも、逃げることもできず、ただ泣くことしかできないきみひろ。
男たちは、同情もせずただいわれた命令をこなす。
情けもいたわりも、この世界にもはや何も価値がなかった。
ゴゥゥゥン…………
容赦ない機械音が、きみひろの椅子を持ち上げる。
(なにが違うんだよ……。ばっちゃんと俺)
ゆっくりとドープが消えた場所へと移動する機械。
きみひろは、ばっちゃんが嬉しそうにしゃべっていた話を思い出す。
『<薬師>さんは昔、ばっちゃんたちを助けてくれたんだ。いきなり現れてね。びっくりしたさ。撃たれて瀕死のじっちゃんを、倒れかけた私を助けてくれた。気まぐれだって笑いながらね……。その後も何回か頼んでないのに、ピンチの時に現れる、ばっちゃんにとって彼は、正義の味方さ』
(うそつき。ばっちゃん。あいつ、全然弱いし、役に立たなかったぞ。悪だったじゃないか。あいつのせいで、ばっちゃんまで死んじまった……。なんで、俺までこんな目に遭わなきゃいけないんだ………!)
「はは! いい表情だぜ、ボウズ! おい、ゆ、く〜り落とせよ。とってもいい叫び声が聞けるぜぇ」
グレイたちは、その想像してニタニタ笑い合う。
しかし、サングラスをかけた筋肉質の男たちは、炉から目を離さないでいた。
それを疑問に思って一人が、訊く。
「? おい、どうした。何かあるのか?」
「…………湯気が、でていない…………」
「は? なんだって」
その答えがよくわからず、彼は炉の方を見る。
しかし、特に妖しいところはないと首を傾げる。
が、次の瞬間驚くはめになる。
何かが、炉から這い上がってきたのが見えたからだ。
「なぁ、あ、あ、あ、アニキ!」
それを目撃した、部下が見物しているグレイたちに叫ぶ。
「なんだ、いい所に声かけるな!」
「い、いや、あれ見て下せぇ!」
「? なんだぁ………………あっ!?」
「は〜〜〜ぁ〜〜〜あ。実に乗り気しない」
ため息をつきながら、這い上がってきたのはまぎれもない、数分前に落ちたドープだった。
彼は無傷で、実につまらなさそうな表情だ。
「おい、どうなってる!? あんな炉に入ったら絶対どんな生物でも、生きていられないはずだぜ!!!」
セメント工場の炉の温度はマグマの温度に近しいほどだ。
まず、生きていられない。
だが、目の前の光景はまぎれもない事実だ。
驚いているグレイたちをよそに、ドープはぶつぶつ何かを言っている。
「なんで、こんな美しくもないパーツばかり揃っているんだろう? 本当今日は厄日だ。餓鬼はうるさいし、それを取り巻く馬鹿どもの知的レベルにも呆れるほどだし、僕は戦いに向かないのに巻き込まれるし、きれいな死に顔には出会えないし…………。これがただ働きだったら、全て消したいほどだよ……」
やる気があるのかないのか、いや、絶対無いに等しいドープは、残念そうにグレイたちを見る。
「どうして、そう驚いた顔するのかなぁ。こんなセメントくらい、いくらでも無害な水に変えることができること知っていて当たり前だよ。本当、君たち、かわいそうな頭……」
「なんだとう!」
「まぁ、それもこれで見納めだからすっきりするけれどね」
「野郎ども、やっち…………うぐっ!」
「ぐぎぃぃぃぃぃ」
「おぉぉ、ど、なん……」
グレイたちは突然苦しみだした。ある者は首を掻きむしり、ある者は錯乱したりと、各々取り乱し始める。
「な、何が起こっているんだ?」
宙づり状態のきみひろは突然の異様な光景に、それを平然と見ているドープに先ほどまでとは違う恐怖を感じた。
「て、てめぇ………な……に」
「僕に関わるな、出会う前に逃げろと、君のボスは君に忠告しなかったみたいだね」
「!」
ドープは自在に薬を操ることができる。無味無臭の毒を調合することなど雑作もないことだ。それをばらまくことも……。
「とすれば、君はボスにとってどうでもいい存在みたいだ」
にこやかにいう、ドープ。弱い者いじめができて嬉しそうだ。
ヒュッ
風を切る音がした。
「わわ! 危なっ」
間一髪、避けるドープ。しかし、避けた方から、もう一撃、何かが飛んできた。
「っ」
ドープは全て避けきれず、吹っ飛ばされる。
攻撃したのは、サングラスをかけた二人組。周りでうめいている奴らと違い、全くピンピンしていた。
「解毒剤を渡せ」
最初に攻撃した男がいう。
その右腕は大きく三倍ぐらいに膨れ上がっていた。
「そうそう、渡した方が楽に死ねるよ、あんた」
後に攻撃した方は体が変形し、真っ赤な髪をした女になった。
その手には鞭。
「よ、よし、ゼェ、お前ら、や……、ゼェ」
「ちょとぉ、依頼主、まだ死なないでよね。私ぃまだ、報酬貰ってないんだからぁ」
女は鞭を軽くなめ、妖艶に笑う。
「この鞭の餌食になりたくないのなら、早く解毒剤渡しなさい」
ドープはやれやれとため息をつく。
「やっかいな『異真(イン)』だね」
そう二人は『異真』だった。土蜘蛛が人間にとって害のある『異真』を手なずけているのは本当だったらしい。
しかも、体の細胞が変形するタイプの『異真』は人と構造が極端に違う。だからドープが撒いた毒では、致命傷にもならなかった。
「そゆこと? たっぷりかわいがってあげるわよ」
「見た所、お前は非戦闘タイプだ」
「……ご名答!」
逃げるドープ。
しかし、走るのが得意でない彼は、次々とコンビで繰り出される攻撃に、致命傷を避けることに精一杯だった。
「遅いわよ! 止まっているかのようだわ」
「…………」
鞭と二重の壁をも揺らす攻撃に、なす術がないドープは、三十秒もかからずに、壁に追いつめられた。
「ふふ、あっけないものね。もう少し粘ってくれてもいいのに。それにしても、いい男がボロボロの姿ってそそるわねぇ」
「最後の忠告だ。解毒剤を渡せ」
「……………………今度から、用心棒、雇おう。絶対」
擦り傷だらけで、地べたに座るドープ。
そんなに動いていないが、彼には何十キロも歩いたような感覚だった。
「おかしなこというわねぇ。次があなたにあるわけないでしょう!」
「終わりだ」
バチィン
ドサッ
しかし、鞭はドープのすぐ脇を通っていった。
そして、男の腕は………………。
「ぐぉぉぉぉぉぉっお!! う、腕が」
「な、なんで当たらないの?! あ、あ」
男は腕どころか、足、胴体全て、バラバラに腐っていく。
「ど、どういうことよ。な、何が起こったの!」
「簡単なことだよ。君達に薬の効果が現れたのさ」
よっこらせ、と立ち上がるドープ。
「う、嘘よ。私達に効くわけないわ! だって……」
「体の構造が違うから」
「そう……! あ、あなたもしかして……」
ドープの菫紫石(アイオライト)の瞳に目を見張る女。不敵に笑うドープ。
「当たり。僕も君達と同じ『異真』だよ」
「「「!」」」
その場で意識がある者全員が、愕然とする。
「僕は君達と違って、目だけが以上にいいからね。DNAレベルまで観察できるんだ。だから、君達が僕と同じだということは、最初からわかっていた。ただ、薬を調合する時間が足りなくて…………こんなぼろぼろになったけど」
あー痛い。そう言いながら傷口に薬を塗っていくドープ。
女はまだ、信じられないというように鞭を振るう。
「そ、そんなばかな! 薬を調合ですって?! そんな素振り私達が気付かないわけがないわ!」
しかし、鞭はドープに届かずに床に落ちた。
根元が腐りはてていた。
「!」
「僕は頭と手先は器用なんでね」
「く、薬をばらまいたなら、あの人質はどうなるの! あの子も死ぬのよ!!」
「いいんじゃない? 死んで」
「「な」」
あっさりいうドープに、きみひろも女も恐怖しか感じない。
「僕はね。生きた者に興味がないの。美しくきれいな死に顔が大好きなんだ。醜い奴の、悲惨な死に顔を見るのはごめんなんでね。そういう輩はとっとと腐らせたり、砂にするのが一番そいつらにお似合いだね」
うっとりするドープだが聴いているこっちは、だんだん寒気がしてくる内容だった。
隣で大破した、『異真』の男、さらに後ろですでに何人かの男たちは形が崩れていた。
女はただ、怖れしか抱かないこの男から後ずさろうとするが、視界が左右にぶれて、さらに足に力が入らなく地べたに這いつくばる。
「あぁ、君は、まぁ、マシな死に顔を見せてくれそうだから、ゆっくりと見物させてもらおうかな?」
「こ、この、あ……く、ま」
「どうとでも。恐怖の死に顔は、女性が一番いい味を出すんでね…………思った通り最高だよ、君」
今までにない笑顔で、もう聞こえてない女に告げるドープだった。
「な、ゼェ、ゼェェ、こんな」
『異真』同士の争いに差があるんだ! そうグレイは叫びたかったが、体が悲痛な叫びをあげて、声がでない。
しかも、生き残っているのはもはや、きみひろと自分だけだった。
なぜか、きみひろは苦しんでいる様子がない。
「ど、うしてだぁぁぁぁ」
「ん〜。どうしてだろうね? 君には感謝してるよ。人気のない所へ連れって行ってくれたり、こんな密室の部屋まで用意してくれて、おかげできれいさっぱり誰にも見られることなく片付けられたよ」
歩み寄ってくるドープ。もはや死神以上の存在になっていた。
「さ、さいっしょから、そのつもり……で!」
「言っただろう? 君、残念な頭だねって。あ、そうそう、君のボスに伝えておくよ。左腕のグレイ君は、横行闊歩(おうこうかっぽ)、軽佻浮薄(けいちょうふはく)、自業自得で哀れな人でした、と」
「……く、そぅ」
ドープは砂と化した生き物に蔑みを含んだ目で見下し、踏みつけたのだった――