エルベリトとマティムは人の魂が見える。
彼らだけではない。彼らの一族は皆、人の魂が見えるのだった。
淡く輝く、命の灯火が……。
それゆえ遥か昔、彼らの祖先は人々の恐怖心から逃れるため、人間の目の届かない場所にひっそりと身を隠したのだった。
ただ、人の魂が見えるだけで畏怖されるわけではない。
人間が彼らのことを“死神”と呼ぶように、人の魂を回収するという役割が昔からあったのだった。
「それにしても、それが魂の起源とはやるせないよね」
それ、と指したのはエルベリトが持っている黒い石。
滑らかなそれは黒曜石とも見える。しかし、黒曜石と違うのは何をしても砕くことはできないことだった。
唯一、彼らだけこれを溶かすことができる。
「で、それ、また食べないの?」
「…………僕、には、無理、……だ」
「それじゃ、いつまでたっても、お前もそいつらも生まれ変われないぜ」
「それでいい」
「お前の決意にはいつも感服するね」
マティムはきっぱりと問題発言を言い放つ親友に、笑みをこぼす。
死んだ人間の中から、輝かなくなった魂、つまり黒い石を回収し、彼らは体内にそれを吸収する。
吸収した魂と共に彼らは転生する。もちろん彼らは一定数を吸収しなければ転生できないのだが。
転生は彼らの髪で識別できる。ワインレッドの髪のマティムのように、髪が赤に近ければ近いほど転生が近い。逆にエルベリトのように紫に近い色は、転生からほど遠い。
(よくその状態で保てるよな〜〜)
エルベリトは死神として生まれついた時から、魂を吸収していない。その彼にマティムは興味が尽きなかった。
吸収といってもそれを丸呑みし、体内に蓄えるが正しい。
簡単に言い換えれば、人の魂だった黒い石は、彼らの主食だ。
人と違う存在でも、生き物として生を受けている所為か、腹は減る。
エルベリトたちは普通の食事もできるが、それだけでは満たされない。
しかし、転生以外で死ぬことはできない。
魂を回収し続けなければ飢えの苦しみが延々と続くのだ。しかし、エルベリトはずっとその道を選び続けた。
何かからあがくように。
“魂の回収”それだけのために制限された生き方を強いられた一族。
時代の流れの中で、一族の内部でも考え方が多様になってはきているが、その中でも特に奇特なエルベリトは周囲から奇異な目を向けられている。
唯一の親友であるマティムも変わり者、問題児の部類に入るのだが、陽気な性格故か今のところ、長たちの間では軽視されていた。
「今のままだと、また説教がくるぜ」
「別にいい。……結局誰も僕をさばくことはできない」
「ま、確かに」
一族の長たちであろうと、所詮は同じ生き物。そして転生以外で死ぬことができないのならエルベリトの意志が変わらない限り、何をしても無駄だった。
ただでさえ人間たちより、数が少ないこの一族。
一部を除いて仲間意識が強い。
(ほんと、いつまでたってもぐだぐだのままなんだよな〜)
微妙な均衡だと知りつつも、自分にとってはどうでも良いことだと判断しているマティムは傍観していた。
そっちの方が面白いから。
「で、マティ。君はそのことだけ言いに僕のところに来たのか?」
大切に慎重に黒い石をどこかにしまったエルベリトはまだ、縁で鎌を振り回して遊び始めたマティムに向き直る。
おぉ、そうだった。と縁から退いた彼は、向かいのビルへ声をかける。
「お〜い、フェルッ。こっちへ来いよ!」
ビルの向こうで黒い固まりが動き、風が吹く。
「あぁ、フェル、お帰り」
「ずっと借りたままだったから、返すな。サンキュー」
「君のことだ。ずっと家に放置していたんじゃないのか。寂しかったか? フェル」
クゥンと鳴いた黒い固まりは、成人犬より二周り大きい狼だった。彼はエルベリトの使い魔で、エルベリトの命令しかきかない。
先祖が、隠れ移る時に、一緒に狼の祖先もついて来たのだった。そして、普通の狼と違う進化を遂げた。
今では少数ではあるが、一族の使い魔になっている。
久しぶりに主人に会えて嬉しいのか、フェルはコートにすり寄って離さない。
「……本当に、放置していたんだな」
フェルの様子から、冷ややかな目をマティムに向ける。
「いや〜〜、ついついネット仲間と遊んじゃってな。帰るの忘れてた」
「全く、君の自由奔放には毎度呆れるよ」
「いやいや、お前の方が自由人だぞ」
どっちもどっちな二人。珍しく起こっている親友にマティムはうきうきしながら、マントの中から数枚のコピー用紙をエルベリトの方へ投げる。
「ま、お詫びにこれやるよ」
「これは……」
「ここ半年くらいの死亡予定者リスト」
「……また、金で手に入れたのか」
「そんな無駄遣いしないさっ。エルも知ってるだろ? 俺は自分の次に金が好きなんだぜ。それと交換したのさ」
フェルが拾ったその束を受け取ろうとした手が止まる。
マティムの言葉にエルベリトは息をのむ。
“それ”とは自分が持っている石のことだからだ。
一族の中には転生したがる者もいる。
生まれ変わって別の生き物になりたいと。
そういう彼らに、マティムは高額な金、または情報と引き換えに、黒い石を交換しているのだ。
「マティ、君は……」
「命を何だと思っているのか、だろう?」
「…………」
「俺とお前はそこら辺の考え方は違うから、どうしようもないじゃないか」
「それでも、君に、それだけはやってほしくない」
命の売り買いなど……。
「はぁ、理解しがたいね。あいつら人間だって命あるニワトリとか牛とか食べるために飼育して、売り買いや遺伝子組み換えやら、自分たちのいいように他の生き物の命を自由にしてるんだぜ。俺が食料として人間の魂を売り買いして何が悪い?」
「……君は、半分娯楽が入っている」
「あー、それは否定しないな」
「人間の世でも、生き物の生死は厳しく取り締まっている」
「そうだな。俺たちの掟にも、一応、人間の売り買いは禁止だもんな。それに自由に殺しては行けないともね。……で?」
「で?」
これまで幾度となくしてきたこのやりとり。普段、表情豊かではない親友がひどく歪ませることに、マティムはつい、からかいたくなってしまうのだ。
「厳しく法律とかで定めても人は人を売ったり、殺したりしているぞ。まぁ、捕まったら罰せられる。そう、人間たちの法律ではね。けれどどうだ? 俺たちは“人間”じゃない」
「っ」
「お前がさっき言ったセリフをそのまま返すけど、お前の行いも俺の行いも、だ〜れも裁けない。違うか?」
この矛盾したシステムに気づくのは変わり者だけ。
その変わり者は、苦しむか楽しむか、どちらかに分かれる。
マティムは前者。エルベリトは……。
「それでもっ」
「ん?」
「それでも、今の今まで、生きてきた魂だ。それらを、そのことを、知っているのも回収できるのも、俺たちだけだっ。尊ぶことこそすれ、軽んじていいわけがない! …………僕は、そう、思う…………」
「ここで、俺が『その尊ぶものを転生に行おうとしないお前の行動も、命を軽んじているじゃないのか?』って返したらどうする」
「…………」
真っ直ぐからかいを含む深い海の瞳は、奥に秘めた決意の炎を宿す親友の瞳を射止める。
エルベリトが口を開く前に、マティムはその場を離れ、一言。
「あきた」
一気に場の空気が冷める。
外見も性格も考え方も全く違う二人。正反対だから惹かれ合うのだろうか。ぶつかることもあるが、その場合マティムの暇つぶしで起こる。
終わるのも彼の気がそれたとき。
マティムはエルベリトの本心もこの世界の矛盾も興味なかった。いかにこの世界を楽しむかが彼にとっての生き甲斐だった。
「お前のその悩む所は好きだけど、もう少し単純に考えた方が、肩の荷が多少楽になるぜ。ウジウジしていたら面白いこと見逃すぞ」
「神経を逆なでといてよく言うよ」
「悪い悪い。お前面白いから、つい。まぁ、もう飽きたし、これ以上しゃべるとフェルが飛びかかって、面倒なことになるしな」
臨戦態勢に入っていたフェルを横目にマティムは、じゃ、またな。エル、とフードを被り直す。そして鎌をもてあそびながら、去っていた。
残されたのは不安そうに主人を見上げるフェルと悪友に渡された紙切れ。そして、ズキズキと痛む胸。
「大丈夫だ、フェル。心配してくれてありがとう」
気遣う獣の頭をなでる。
フェルはそれでも心配そうな鳴き声を漏らす。
(ごめん。マティ。僕は変われない)
からかいながらも、エルベリトの身の上を案じていたマティム。
戯けながらもよく見てくれる親友に彼は感謝した。
友の言葉は胸が締め付けられるほど痛い。
エルベリトはまた石を取り出す。
輝かなくなったそれを慎重に包みながら、静かに座る。
それは小石程度の大きさ。
研磨されたかのように、滑らかな肌触り。
(あぁ、なんて――)
笑みが、こぼれる。その美しさに。
それと同時に、涙が零れる。その儚さに。
これになる前は、何ものにも例えようのない光を放つ。
その輝く魂はエルベルトにとって、まるで冷たく暗い深海の底を照らすような、温かな一筋の強い光だった。
その灯りをいつまでも見ていたい。
恋しく憶う、エルベリトだった――――。